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安賢洙、個人が国家に勝つ

Posted February. 18, 2014 04:22,   

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2008年、サッカー欧州選手権(ユーロ2008)が開かれた年に、私は特派員としてフランス・パリにいた。ちょうどドイツとポーランドの試合が行われ、夕方の時間帯にテレビで見ることができた。ポーランド生まれのドイツ国家代表選手ルーカス・ポドルスキがポーランドを相手に2ゴールを決め、ドイツを勝利に導いた。ポドルスキは普段と違ってゴールセレモニーも省略し、喜ばなかった。ポーランドの観覧席からは野次がとんだ。ポドルスキの気持ちはいかほどか想像に難くない。

先週末、安賢洙(アン・ヒョンス)選手がソチ五輪男子ショートトラック個人1000メートルで1位になり、金メダルを獲得する姿を家族と共に見守った。妻と子どもたちもそうだが、私も複雑な気持ちだった。アン選手のために韓国の代表チーム選手が1位を逃したわけでも、メダル圏から外れたわけでもないのに、なぜだろうか。

韓国選手もよく、アン選手もよかったなら、そうではなかっただろう。むしろアン選手の力量がロシアで認められたことに誇りを感じたのかもしれない。事実、アーチェリーやショートトラックは、多くの韓国人コーチが外国に行き、彼らが教えたチームが世界大会で韓国と競うのを度々目にする。彼らが韓国を追撃する時は焦燥感もあるが、大きく見て仲間同士の争いのように思われ、微笑ましい。

私の気持ちが複雑だったのは、できない人ができる人を追い出す場面を見たような気がしたからだ。どの国よりも多くの反則で自分だけでなく他国選手の試合まで台無しにする韓国チームの姿が、いつもクリーンに競技をして勝つアン選手の姿と対照的であるうえ、まさにそのようなアン選手が韓国の代表チームで機会を得られず去らざるを得なかったということが残念でならない。

アン選手がロシア国旗を振ってリンクをまわり、授賞式でロシア国家を歌うのを見た。私は決して「クール」に喜ぶことができなかった。残念だった。ポドルスキはポーランドで生まれたが、2才の時にドイツに移住した。彼の祖父母は第2次世界大戦前、ドイツ国籍を保持した。彼らが暮らした場所は第2次大戦前はドイツだった。ポドルスキは事実上ドイツ人に相違なく、2つの国籍から1つを選択する岐路に立たされ、ドイツを祖国に選んだのだ。そのような彼も何かのインタビューで、自分にはドイツとポーランド2つの心臓が動いていると話した。アン選手はどうだろうか。アン選手はロシアには何の縁もない。ロシア語も上手ではない。いくら国境を越えて暮らす世の中であっても、ロシアは彼の本当の祖国にはなり得ない。

しかし、アン選手は心から喜んでいるようだった。リンクにキスをし、感激の涙を流した。私はそこで国家対国家という脈絡を完全に離れた瞬間を目撃したと思う。それは国家に対する個人の勝利だ。

祖国はただ祖国というだけで永遠に祖国なのだろうか。祖国が意味を持つのは、それが個人の夢を実現する時だ。韓国国籍を持つということが、むしろアン選手の夢を断つこととなった。彼はその時、彼ができる唯一の選択、すなわち祖国を捨てる選択をしたのだ。彼が涙を流したのは、彼の選択が正しかったことをガールフレンドに、両親に、何よりも自分に証明できたからだ。

ヴィクトル・アンは、私たちに個人が国家に勝つ新しい時代を知らしめた。今はまだ慣れない風景だが、体育団体の官僚主義がなくならない限り、兵役免除や賞金といった競技以外の戦利品が残り、それを得るために派閥争いが起こって、不正試合が起こる限り、韓国は今後も第2、第3のヴィクトル・アンを目にすることになるだろう。