生と死、自由と抑圧、希望と挫折との間の距離は、果たしてどれぐらいだろうか。彼らは語る。48メートルだと。映画「48メートル」は、その距離を実感を持って示している。48メートルとは、北朝鮮と中国との間を流れている鴨隳江(アブロクガン)で、最も幅の狭いところである北朝鮮の兩江道(ヤンガンド)と中国の長白県の間を指している。ここには鉄条網も、地雷もない。しかし、より一層危険なものがある。北朝鮮の国境警備隊の鋭い目と、どこから飛んでくるか分からない銃弾だ。
映画「48メートル」は、実話を基に、脱北を扱った作品だ。登場人物らは生きるため、脱北を夢見、川を渡る冒険に乗り出す。しかし、多くの人たちが銃弾に倒れる。取締りの成果に目のくらんだ国境警備隊の幹部の誘いに、罪のない人たちが犠牲となったりする。罪悪感に苦しんでいた一人の国境警備隊員が、結局、脱北の行列に自分も加わる物語も出ている。川を渡るのに成功した人たちも、再び捕まり、北朝鮮に送還されると、この映画は最後で伝えている。
私が、この映画を見たのは、「光州(クァンジュ)市民らは、『花売り娘』を食い止めなければならない」と主張したチャン・ジンソン氏の文のためだ。光州国際映画祭組織委が、2013光州国際映画祭で上映するために、統一部に承認を申請した北朝鮮の映画「花売り娘」は、単なる抗日映画ではなく、日本植民地時代を背景に、階級闘争をあおるための共産革命の宣伝映画だと、チャン氏は主張している。このような映画を、「民主の地」光州で上映するのは適切でないと、むしろ、北朝鮮の人権映画「48メートル」を上映するのが、賢明な選択だろうと氏は主張した。
チャン氏は、彼自身が脱北者だ。「うちの娘を100ウォンで売ります」という詩で有名だ。労働党・統一前線部で働いたことがあり、誰よりも北朝鮮について詳しく知っている。04年、北朝鮮から脱出し、ソウルに足を踏み入れるまでの逆境を描いた彼の脱北手記は、それ自体がドラマだ。彼は今、北朝鮮の動きを分析し、その実状を生々しく伝える脱北者ネット新聞・ニューフォーカスを運営している。チャン氏は、「この映画は、観客らを自ら『48メートル』の渇望に打ち込ませる」と話した。
映画「48メートル」は、脱北者が金を出して、応援して作ったものだ。実話に充実しようとしたため、終始、その内容は重く、画面は暗い。ほかの北朝鮮関連映画で見られるコミックな内容や恋愛物語などの面白さもない。台詞は、北朝鮮の言葉遣いであり、なかなか聞き取れなく、そのため、理解できない部分もたまにはある。制作環境が厳しかったことは分かるが、それでも、いざ作ろうとしたなら、より映画的要素を加えたならよかったのに、という気がしないでもない。
この映画は昨年8月に出来上がった。その一ヵ月後、北朝鮮人権運動家のスーザン・ショルティの支援を受け、米下院で特別試写会も行った。しかし、国内での上映は、1年近くも遅らせた。配給会社を探すことができなかったためだ。興行を重視する配給会社各社の気に入るはずが無かった。それさえ、経済民主化の空気のおかげで、CJCGVから認められ、今年7月4日から全国で上映している。
「さすが」観覧客は多くない。かつては、暗い社会現実を告発する映画を、わざわざ探して観覧し、それをPRして、協力する有名人や政治家もたまにはいたが、この映画は、そのような人たちすらいない。CGVに尋ねたところ、11日までの累積観覧客数は、7175人だ。10日夜、私がこの映画を見たときも、観覧客は、私を含め、わずか11人だった。そのためか、映画を上映するCGVも、一緒に映画を見てくれた観覧客らも、大変ありがたく感じられた。
北朝鮮人権云々すれば、よくイデオロギーを思い浮かべる。しかし、この映画はイデオロギーではなく、ただ、生きようともがいている人たちの物語だ。たとえ、「面白さ」は欠けていても、彼らの声に耳を傾ける人たちが、より多くなることを期待する。光州国際映画祭が、「文化的影響力を基に、相互理解や韓半島の平和に貢献するため」、北朝鮮の映画2本の上映を進めているといわれているが、この映画も含めてはいけないのか。






