KBSドラマ「チョン・ウチ」で、道士チョン・ウチ(チャ・テヒョン)が道術で貪官汚吏を懲らしめる場面が視聴者にカタルシスを与える。最近、このドラマに吏曹銓郎が登場した。吏曹銓郎が作った人事案に不満を持つ左議政が人を使って吏曹銓郎を殺害すると、チョン・ウチが復讐に立ち上がる。吏曹銓郎は、吏曹の銓郎(正五品)3人と佐郎(正六品)3人を合わせた呼び名だ。今で言えば、政府省庁の事務官や主事にすぎないこの地位が特別な理由は、王に直言する三司(司諌院、司憲府、弘文館)の官僚と自分の後任を推薦する権限があったためだ。
◆朝鮮時代の朋党政治は、まさに吏曹銓郎によって始まった。1574年(宣祖7年)、吏曹銓郎の呉健(オ・ゴン)が別の地位に移り、後任に金孝元(キム・ヒョウォン)を推薦した。仁順王后(明宗の妃)の弟であり、吏曹参議(正三品)だった沈義謙(シム・ウィギョム)が反対したが、前例によって金孝元が銓郎になった。金孝元が移る頃、沈義謙は弟の沈忠謙を吏曹銓郎にするよう頼んだ。しかし金孝元は、「吏曹銓郎は外戚の専有物ではない」と断り、両者は衝突した。金孝元が漢陽(ハンヤン)東方のコンチョン洞(現在の忠武路付近)に住み、沈義謙が西方のチョンルンバン(現在のソウル市議会付近)に住んでいたことから、金孝元を支持する勢力を東人、沈義謙勢力を西人と呼ぶようになった。二分して対立する朋党政治の出発点だ。後に東人は南人と北人に、西人は老論と少論に分かれた。
◆英祖が出した蕩平策は、吏曹銓郎の三司の推薦権を廃止したことが核心だった。老論の支持で王位に就いた英祖は、初期の頃は老論を重用したが、朋党の弊害を悟って改革に乗り出す。英祖は老論と少論の領袖を呼んで和解させ、吏曹銓郎の人事権を廃止して自分が直接行使した。吏曹銓郎という中級官吏に人事を任せたのは、高級大臣と外戚を牽制し、人事の独立性を保障するためだった。しかし、制度は人を越えられないものだ。吏曹銓郎に人々がコネをつくり、吏曹銓郎が人事権を乱用し、朝鮮崩壊の端緒となった。
◆今日、吏曹銓郎に該当する地位は大統領人事秘書官だ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は、泥の中の真珠を探すと言って人事首席秘書官を置いたが、「側近人事」の批判を受けた。李明博(イ・ミョンバク)政府も、「コ・ソヨン(高麗大学・ソマン教会・嶺南出身)」人事問題から自由ではなかった。4日、大統領引き継ぎ委員会の分科委幹事を発表したことを皮切りに、5年ぶりに再び大々的な政府人事シーズンを迎えた。引き継ぎ委員の人事を見ると、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領当選者は、吏曹銓郎の権限を廃止した英祖スタイルに近そうだ。しかし重要なことは、どのような人を起用するかだ。人事が歪めば国政は成功しない。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com