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[オピニオン]判決と常識とのギャップ

Posted October. 29, 2012 08:17,   

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「30年近く裁判官として生きてきながら、恥ずかしい事件がありました。記録を通じて経験した『殺人の追憶』と言いましょうか」。昨年退任した金知衡(キム・ジヒョン)元最高裁判事は22日、高麗(コリョ)大学法科大学院での講演で、このように切り出した。金元裁判官は、十数年前に田舎町で起きた老婆殺害事件の1審を担当した。捜査の時から裁判初期まで、殺人を認めていた被告が、裁判の途中、いきなり犯行を否定した。警察は、被告の自白を録音したテープを提出した。話しぶりが自然なため、外圧の印は見つけられなかった。金元裁判官は懲役15年刑を言い渡した。

◆同事件は、2審で無罪へと覆され、最高裁でもそのまま確定した。録音テープだけでは、自白が自発的なものだったと見なすことができない上、決定的な物証も無いという理由からだった。金元裁判官は、「骨身に染みる教訓を手にした」と語った。世に稀な凶悪犯でも、自白が唯一の証拠なら、有罪とは見なせないという刑事裁判の原則をないがしろにしたのだ。「あの被告が犯人に間違いないという考えに変わりは無いが、その裁判に適用した物差しを、他の一般事件に同様に適用することができなければ、採用してはならなかった」。自白だけで有罪を決め付けるのが一般化すれば、罪の無い前科者を量産し、正義に反することになるという主張だ。

◆現代法は、特定事件にだけ通じる「個別的正義」でなく、普遍的に適用可能な「一般的正義」に従う。国選弁護は、そのように趣旨からの制度だ。特定事件だけをみれば、「凶悪犯をなぜ、税金で弁護するか」と思うかも知れないが、一般事件へと拡大してみれば、弁護士を使うことができず、濡れ衣を着せられた人を救済する正義を実現するという。主婦殺害犯のソ・ジンファンは25日、裁判が判決無しに終わると、弁護人に対し、「なぜ、何度も判決を遅らせるのか」と腹を立てたが、彼にも3審までチャンスを与えるのが法だ。

◆1審で死刑が下されたオ・ウォンチュンが、先日の2審で無期懲役に減刑されたことも、一般的正義による結果と見られる。不遇に暮らしていたところ、偶発的に犯行を起こしたというのが判決の要旨だが、「これほどの犯罪に死刑を言い渡せば、死刑が乱発されかねない」という懸念がその背景にある。その代わり、遺体を358個に切断した同事件の個別性は埋もれてしまった。法の感情と法論理とが衝突するところだ。一般の人は、「このような野獣をなぜ生かせるのか」と批判しているが、裁判官は、無期懲役が下されたほかの殺人犯との公平性を突き詰める。常識と法とのキャップを埋めるのは、だから容易なことではない。

シン・グァンヨン社会部記者 neo@donga.com