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金正日体制下の粛清は金日成死亡3周忌終了後から本格化

金正日体制下の粛清は金日成死亡3周忌終了後から本格化

Posted July. 17, 2012 08:31,   

金正恩(キム・ジョンウン)体制スタートから7ヵ月目に断行された側近の粛清は、父親の金正日(キム・ジョンイル)時代とは違う人事パターンを見せている。金正日の人事は保守的といえるほど慎重だったが、息子の金正恩は電撃的で型破りなスタイルを見せている。

北朝鮮専門家の李鍾奭(イ・ジョンソク)元統一部長官は01年に著書で、「金正日が2代目世襲の後継者として公式に登場した1980年以降、北朝鮮の権力構造内での人物の交代は大変少なく、主要幹部らが権力ブロックから脱落するケースは大変少なかった」と評した。

このような現象は、金日成(キム・イルソン)が死亡した1994年7月以降も、しばらく続いた。権力層のエリート個人に対する粛清は、父親の3周忌終了後の1997年9月、経済失敗の責任を問うため党農業担当書記の徐寛煕(ソ・グァンヒ)を処刑したのが事実上初めてだった。

一方、金正恩は父親とは違い、能力や忠誠の度合いによってエリートたちを迅速に入れ替えるパターンが読み取れる。李英浩の解任を迅速に公開したのは、「透明性増大」という金正恩の統治スタイルが反映されたものだという解釈も出ている。

だが、このような金正恩のスタイルは、それだけ権力基盤の脆さを反映するものだという見方も多い。20年にわたって後継者としての権力基盤を築いた金正日とは違って、後継修業期間の短かった金正恩は、能力や忠誠心の低い側近を果敢に入れ替えことで、体制をさらに強固なものにしていかなければならない立場にあることを意味している。

国に生活のすべてのことを頼っている北朝鮮において、「解任」はすなわち生存への脅威となる。ただ、一定期間が過ぎ、返り咲いた事例もなくはない。金正日の義弟である張成澤(チャン・ソンテク)は04年に派閥主義を助長したという理由で粛清されたが、2年後に平壤(ピョンヤン)に戻ってきており、07年、経済改革の先頭に立ってたところ、締め出された朴奉珠(バク・ボンジュ)元内閣首相は3年後に党第1副部長として復帰した。



kyle@donga.com shcho@donga.com