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[オピニオン]李龍得の政治変身

Posted March. 01, 2012 05:33,   

歴史的に見ると、欧州での労働党は労働組合を母胎に誕生した。しかし1990年代に入り、労働党が一般人の党員を多数補充したことで階級政党から大衆政党に変身し、労組と距離を置き始めた。一部の社会主義圏を除く多くの国で、両者の緊密な関係にもかかわらず組織が重なることはない。英国、ドイツはもとより、米国、日本も然りだ。フランスは1906年から、法で労組と政党の分離独立を規定している。

◆韓国では1997年まで労組の政治活動が禁止されていた。国際労働機関(ILO)は、労働組合の活動を制約し、労働者を抑圧する毒素条項の改正を繰り返し要求した。当時、労組は、組合員から政治資金の徴収、労組基金の政治資金寄付、公職選挙時の特定政党や特定人の支持といった活動ができなかった。労働組合法の改正でこれらの条項は削除されたが、代わりに「労働組合で見ない」労組の資格剥奪の理由で「主に政治運動を目的とする場合」という条項が新設された。

◆韓国労働組合総連盟(韓国労総)創立66年にして初めて、定期代議員大会が開催されなかった。代議員が労総指導部の過度な政治参加に反発し、28日、大会の出席を拒否した。昨年12月、韓国労総は、民主党、市民統合党とともに統合を公式決議し、民主統合党として発足した。支持または政策連帯の連帯方式ではなく、統合を宣言し、統合政党の持分を受け入れ、主要幹部が組織的に党職を兼職したのだ。李龍得(イ・ヨンドク)労総委員長は、党最高委員を兼ねた。労総傘下27連盟のうち約10の連盟代議員が党職兼任の撤回を要求したが受け入れられなかったことを受け、代議員大会の出席を拒否したのだ。

◆韓国労総は、2007年の大統領選挙でハンナラ党と提携し、第18代総選挙でハンナラ党の公認で元幹部4人が政界に進出した。政策連帯を主導した李委員長は公認から落ちた。李委員長がセヌリ党を捨てて民主党と手を握ったのには、裏切られた思いも作用したのだろう。「渡り鳥政治家」に劣らない振る舞いだ。労総と政党の統合には違法の余地もある。李埰弼(イ・チェピル)雇用労働部長官は最近、「労総が正道から外れた」と警告した。韓国労総が政治に参加しても、労働運動が本業であり、政治は補助的に止まらなければならない。現在の状況に主客が転倒した印象を受ける。

虚承虎(ホ・スンホ)論説委員 tigera@donga.com