「あの冷たい海の中で、どれほど恐ろしく、孤独だろうか」
5日、日本の山口県宇部市西岐波の海辺に4人の韓国人が立っていた。白髪混じりの彼らは、穏やかな冬の海に向かって言葉なく涙を流した。
彼らは、70年前の42年2月3日に崩壊した長生炭鉱の朝鮮人犠牲者遺族。当時、日本最大の海底炭鉱だった長生炭鉱は、一瞬にして崩壊し、炭鉱労働者183人を飲み込んだ。法で採炭が禁止された危険地域で、以前から何度も崩壊の可能性が警告されたが、太平洋戦争勃発後、エネルギー源の確保が緊急だった日本政府が無理に操業し、事故が起きたのだ。
特に、犠牲者のうち136人は日本に強制動員された朝鮮人労働者だった。彼らは、身長よりも高い塀で囲まれた宿舎に監禁され、昼夜を問わず採炭作業をさせられ、故国に帰えることもできず、異国の海に埋もれた。事故後、炭鉱側は遺族に位牌と一定の慰労金を支払い、朝鮮人犠牲者は忘れられていった。
炭鉱事故の悪夢が水面の上に浮上したのは、06年に「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会」が東亜(トンア)日報とともに生存した被害者の証言を記録したことがきっかけとなった。日本の良心ある市民も、朝鮮人犠牲者遺族への支援に力となった。「長生炭鉱の『水非常』を歴史に刻む会」(代表=山口武信)は、3年前から募金を始め、遺族が合同追悼祭を行えるよう海辺の土地を購入した。「水非常」は水没事故が発生したことを意味する。長生炭鉱犠牲者遺族会代表の金亨洙(キム・ヒョンス)氏は、「海底炭鉱の排気筒がよく見える場所で祭事をしたかったが、それすら炭鉱所有者の子孫の土地ということで、これまで思いどおりにできなかった。日本人の募金のおかげで今は気兼ねせずに祭事ができる」と話した。
同日、この場所で70周忌合同追悼祭を行った遺族らは、「陸もこんなに寒いのに、冷たい海の中はいかばかりか。あまりにも寒いので、遺体が腐敗していないのではないか」と号泣した。彼らは、祭事を終えた後、船で排気筒まで行って献花し、追悼式を終えた。「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会」側は、「帰えることのできない犠牲者の遺体を故国に連れてかえることができるよう最善を尽くす」と話した。
jhk85@donga.com






