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123勝達成の朴賛浩、大リーグアジア投手最多勝タイ

123勝達成の朴賛浩、大リーグアジア投手最多勝タイ

Posted September. 14, 2010 07:55,   

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「コリアン特急」朴賛浩(パク・チャンホ、37=ピッツバーグ)は健在していた。華やかではないが、着実に勝数を重ね、遂にアジア最高と言われていた野茂秀雄(42)と肩を並べた。

朴賛浩は13日、シンシナティとの試合で、0対1と出遅れていた8回マウンドに上がり、1回を無失点に抑えた。ピッツバーグは9回に3点をあげ、朴賛浩に3対1の勝利をプレゼントした。チーム移籍後、初の勝利であり、シーズン3勝(2敗)目を挙げた朴賛浩は、これで17シーズン通算123勝(97敗)を記録し、05年野茂が立てたアジア投手史上最多勝タイとなった。

先に、大リーグの舞台に立ったのは朴賛浩だった。彼は漢陽(ハンヤン)大学2年生だった1994年1月、契約金120万ドル、年俸10万9000ドルの6年契約を結び、LAドジャーズに入団した。しかし、先に勝利投手になったのは野茂だった。日本プロ野球デビュー年の1990年に18勝をマークするなど、5年間で78勝(46敗)と活躍した野茂は、1995年ドジャーズ入団初年度に13勝6敗、平均防御率2.54の成績で新人王に輝いた。その時、朴賛浩は野茂と比較できない相手だった。

朴賛浩は、2年間のマイナーリーグ生活を経て、ビックリーガーに成長した。1996年5勝(5敗)で可能性をみせ、1997年から01年まで、5年連続二桁の勝数を記録し、全盛時代を迎えた。00年には、野茂を乗り越え、18勝(10敗)を挙げた。野茂は3回16勝を記録した。

出遅れはしたものの、朴賛浩は早く勝数を重ねていった。01年までに80勝をマークし、野茂を2勝差まで追いかけた。すぐ逆転するかのように見えたが、朴賛浩は02年、自由契約選手(FA)となり、テキサスのユニホームを着てからスランプに陥った。同年9勝に止まり、03年には1勝しかあげられなかった。反面、複数のチームを回り、再びドジャーズに復帰した野茂は、02年から2年連続16勝をあげ、朴賛浩を引き離し、03年4月にはアジア投手としては初めて100勝の偉業を達成した。

しかし、野茂の輝かしい時代はその時までだった。04年4勝、05年5勝に止まった。引退の岐路に立たされ、ベネズエラ行きまで選択した野茂は、08年、カンザスシティのユニホームを着たものの、勝敗を記録できないまま、同年7月引退を宣言した。

朴賛浩は、着実に勝数を増やしていった。05年(サンディエゴ)6月、通算100勝を達成し、06年7勝を加えた。07年からはチームを毎年移しながら、3年間さらに7勝をあげた。そして、今年ニューヨーク・ヤンキーズで2勝、ピッツバーグで1勝を収め、もう一つの道しるべを立てた。あと1勝で、アジア最多勝投手になる。朴賛浩は123勝のうち、先発で113勝(86敗)、リリーフ投手として10勝(11敗)をあげた。野茂は全て先発で勝っている。

朴賛浩は同日、自分のホームページに「現実が不幸だと考えないようにしよう。私の人生で不幸はなかった」という、この間の日記を公開し、「本当にありがとうございます。いつも一緒に応援してくださった皆様を愛しています」と書き込んだ。



why@donga.com