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再び負傷で夢を諦めた「不運の男」クァク・テフィ

再び負傷で夢を諦めた「不運の男」クァク・テフィ

Posted June. 01, 2010 07:30,   

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サッカー代表チーム練習場で、彼は「アイスマン」と呼ばれている。大小の負傷にずっと悩まされていたせいで練習が終わると、すぐ氷で冷やすため、体中に包帯を巻いた。彼は、人より遅い高校時代に正式選手として、デビューした。高校2年生の時は、練習中にボールが左目に当たり、網膜損傷し、視力が大きく低下したが、血と汗の努力でこれを乗り越えた。05年プロデビューした彼は、07年全南(チョンナム)に移籍し、ようやく日の目を見ることになった。「身体的条件、状況判断力、瞬発力」の全てを兼ね備えた最高のDFという賛辞を浴びた。

許丁茂(ホ・チョンム)監督が、代表チームの監督に就任してからは、「許丁茂チームの皇太子」とまで呼ばれた。ところが、負傷が足を引っ張った。08年3月に足を怪我し、6ヵ月間近く試合に出場できなかった。リハビリを経て、グランドに復帰したばかりの11月には、右ひざの靱帯が切れる負傷で再び10ヵ月間以上、試合に出られなかった。

長いリハビリ期間中に気をもみ、負傷の跡はそのまま体に残った。それでも、彼は最近やっと笑えるようになった。夢のW杯の舞台が、目の前に迫ったためだ。最近、調子も好調だった。代表チームの親善試合では、主要メンバーとなり、MF型DFとして確実に位置づけられるようにみえた。許監督は、「調子がだんだん上がってきている。意志と精神力が誰よりも強い選手であるだけに、W杯で重要な役割を果たしてくれると期待する」と信頼を表した。

ところが、しばらく影を潜めていた負傷は、肝心な時に再び彼の足を引っ張った。先月30日、オーストリアのクーフシュタイン・スタジアムで行われたベラルーシとの親善試合で、相手選手と衝突し、左ひざ内側の靱帯部分の破裂という診断を受けた。リハビリだけで最低4週間は必要だという。W杯の最終エントリーメンバーが発表される2日前のことだ。誰より彼を高く評価してきた許監督は、「W杯と縁がないようで心が痛い。辛いだろうと思うけど、早く立ち直ってほしい」と残念な気持ちを伝えた。代表チームの後輩の李青龍(イ・チョンニョン)も、「練習の際、誰より一生懸命やったということをみな知っている。期待が大きかった分、失望感が強いだろう」と残念がった。

代表チームが、W杯に向け最後の練習に励む時、彼は一人で帰国の途に就く。「不運の男」クァク・テフィ(京都サンガ)の話だ。

一方、彼の空白は、後輩の姜敏壽(カン・ミンス=24・水源)が埋めることになった。姜敏壽は、07年6月Aマッチのデビュー戦で、代表チームで31試合に出場した。W杯の予備エントリー30人に入ったが、最後の最後で競争に押され、苦杯を喫した。



niceshin@donga.com