Go to contents

朴セリが劇的な復活優勝、セリキッズたちにもう一つの鏡に

朴セリが劇的な復活優勝、セリキッズたちにもう一つの鏡に

Posted May. 18, 2010 04:42,   

한국어

雨と涙が頬をつたって流れ落ちた。後輩たちは飛び出してシャンパンとビールをかけまくった。どれだけ待った瞬間か。その味は恍惚とも言えるものがある。朴セリ(33)の顔には晴れた笑みが消えることがなかった。

劇的な復活だった。昨年2月、10ヵ月間で55大会に出場していながらもトロフィはなかった。無冠の時間がこれほど長く続くとは思わなかった。しかし朴セリは再び立ち上がった。17日に終わった米アラバマ州モービルのマグノリアグローブゴルフ場(パー72)で行われた米女子プロゴルフ(LPGA)ツアーのベルマイクロ・クラシック。

朴セリは18番ホール(パー4、402ヤード)で行われた3度の延長戦で劇的なバーディーを奪い優勝した。07年7月にあったジェイミー・ファー・オーエンス・コーニング・クラシックでの優勝以来、長い沈黙を破った。通算25勝目。

朴セリは、ブリタニー・リンシコム(25・米)、スーザン・ペテルセン(29・ノルウェー)と首位タイ(13アンダー)に並んで第4ラウンドに突入した。序盤の流れは良くなかった。朴セリは3番まで1打を失い、単独首位に出たリンシコムに2打差をつけられた。このとき、天の助けがあった。雷と稲妻を伴った暴雨で第4ラウンドがノーゲームになった。

長打が持ち味のリンシコムやペテルセンほどの飛距離が出ないうえ、前日夜に101mmの雨が降り、フェアウェーが水浸しになっている状況だった。しかも体力でも勝てない。いろいろと不利な立場にいた朴セリにとっては幸運な巡り合わせだった。

優勝は、3人の延長戦で決まることになった。ペテルセンが延長戦第2ホールでボギーを叩き、先に脱落した。運命の延長第3ホール。朴セリのドライバーティーショットは右フェアウェイのバンカーに落ちた。リンシコムのティーショットはフェアウェイに無事着地。朴セリは170ヤードを残して6番アイアンを使ったバンカーショットがピンから3メートル先に落とした。

余裕が漲っていたリンシコムに焦りが見え始めた。8番アイアンを使った2番目のショットは深いディボットを取ってバンカーに落ちた。リンシコムも簡単には引き下がらなかった。スリーオンに続いて、下り坂の5メートルという難コースのパーパットに成功した。延長戦では通算5戦全勝と100%の勝率を記録している朴セリは、バーディパットを決めては右腕を突き上げた。

尊敬する先輩を応援して6時間以上を見守っていた「セリキッズ」の申智愛(シン・ジエ、22)、ヤン・ヒヨン(21)、チェ・ウンジョン(19)はグリーンに飛び込んで抱き合いながら優勝を祝福した。

航空便までキャンセルしながら応援していた申智愛は、「セリさんが優勝する場面をそばで見たのは初めて。すっごく光栄で胸いっぱい」と感動を語った。ペテルセンが優勝したら申智愛は2週ぶりに世界ランキング1位から下がるところだった。朴セリが、申智愛の女王の地位を守ってくれた格好だ。

朴セリの優勝ニュースを聞いた崔京周(チェ・ギョンジュ)は、「実力はそう簡単に衰えるものじゃない。チャンスが回ってくれば掴める。気苦労も解消されただろう」と話した。

朴セリは、試練のなかでもダルマのように起き上がる希望の伝道師だった。04年、ミケルロブウルトラオープンで名誉の殿堂入りポイントを満たしてから、激しいスランプに悩まされた。05年は優勝無しで平均打数は74.21打まで跳ね上がり、賞金ランキングは102位まで下がった。

「もう目標を失った朴セリは終わった」という話まで聞かれた。精神力を鍛えようとテコンドーやキックボクシングまでした。そして、とうとう06年のマクドナルド選手権で優勝。グリーンを飛び上がりながら目頭を赤くした。

07年に優勝したあとは、自身の影響でゴルフに打ち込んで成功物語を書き続けている後輩たちを励ます役に充実する時期が多かった。その傍らでも汗は流し続けた。乱れたパットを調整するために、専門コーチを置くくらい意欲を見せた。

「いつかはこういう日があることを信じていました。その日まで自分にできることは、忍耐と練習だけでした。たくさんの優勝を経験したけど、今日は本当に特別な日です」

今回の優勝で、朴セリは拍手を受けながら引退したいという計画を具体的に実施することができるようになった。20代半ばを超えると技量の衰えが出始める後輩たちに、鏡になるにも十分だ。いつの間にか30代半ばになってスポットライトの主役になった朴セリ。新しいゴルフ人生は、すでに始まっているのかもしれない。



kjs0123@donga.com