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遺品で帰ってきた息子の日記帳、親は涙で燃やした

遺品で帰ってきた息子の日記帳、親は涙で燃やした

Posted May. 06, 2010 07:50,   

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天安(チョンアン)艦沈没で犠牲になって故ナ・ヒョンミン上等兵(20)の父親であるナ・ジェボンさん(52=戦死者家族協会代表)は2日、京畿道平沢市浦升邑(キョンギド・ピョンテクシ・ポスンウブ)の海軍第2艦隊司令部に設けられた家族宿舎で特別なプレゼントを受け取った。ナ上等兵が生前、天安艦で生活をしながら使っていた品々が入っている赤松箱や旅行カバンだった。天安艦引き上げ後、個人ロッカーなどから見つかった遺品を、海軍側が家族に渡したものだ。

海軍将校から手渡された遺品箱は、縦30センチ、横25センチ、高さ10センチの大きさに太極旗(テグッキ=韓国国旗)や海軍旗が施された銅版付きだった。箱を開くと、かび臭い油の匂いがした。水や油まみれとなった文化商品券や現金などが入っており、それらを全て持ち出すと、一番奥の方に、表紙が剥ぎ取られたピンク色の1冊のノートがあった。ナさんはしばらく言葉を失った。息子の日記帳だった。

「バスケットボールをやりたい。ピアノも習いたいし、ギターも習いたい」。油だらけではあったが、黒い水性ペンで、ゴマ粒のように書き下した字は、間違いなく息子のものだった。

「以前もこういうことをよく書いたりしました。軍隊にいると夜は手持ち無沙汰なので、一所懸命書いたようですね」。5日に会ったナさんは、「息子がやりたくてもやれなかったことが、びっしり書かれているのを目にし、父親としてすまない気もするし、心が痛いですね」と悲しげに話した。

日記帳は、海水に浸かっていたため、3〜4枚ずつ重なっており、なかなか開けなかったが、海軍に入隊した昨年6月から今年2月末にかけて、天安(チョンアン)艦で送ったナ上等兵の日々の生活がびっしりと綴られていた。陸地生活への憧れや除隊後の計画、知人らへの懐かしさをしたためたのがほとんどだった。「除隊すれば、海外旅行に行こう」などと個人話も多かった。

夜も眠れず、夜通し息子の日記を一枚一枚読み下していたナさんと妻の金オクスンさん(51)は、日記帳を燃やすことにした。「読むたびに、息子のことが思い出され、心が痛い」という理由からだった。

ナさんはその翌日、第2艦隊側に連絡し、息子の遺品を燃やしたいと伝えた。ナ上等兵と同じ部屋を使った故チョ・ジフン上等兵(20)の家族もそれに同意し、2人の同僚の遺品は、最後までを一緒にすることになった。宿舎の隣の空き地に小さな穴を掘り、日記帳や衣類、故人が生前に送れなかった何通かの手紙も入れた。母親の金さんが、堪えていた涙を流した。「かわいそうなうちのヒョンミン」。ナ上等への遺品は、母親の泣き声を後にしたまま、一握りの灰と化した。

子供の日だった5日、ナさんは、両親の手を取り、街を歩き回る子供らを目にし、「私たちにもあのような時代があったのに、子供は年を取っても親には皆、子供だ」と息子のことを思い出した。入隊直前の昨年のこのごろ、息子が直接カーネーションをつけてくれたナさんの胸に、同日は黒いリボンがつけられていた。

「ただ、軍隊に長く居座っていると思わなきゃ。ところが、息子の日記帳は燃やすべきではなかったのかな、なんとなく寂しい…」。ナさんは、それ以上言葉を出すことができず、しばらく空を眺めていた。



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