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[オピニオン]朴景利

Posted May. 06, 2008 07:44,   

小説家の朴景利(パク・ギョンリ)と言えば江原道原州(カンウォンド・ウォンジュ)が頭に浮かぶ。原州は朴氏が1980年54歳の時に定着した所だ。時代を代表する文人であると同時に清く生きてきた社会元老でもある朴氏にはインタビューの要請が絶えなかった。朴氏は田園に位置したタング洞の自宅で菜園作りをしながら記者を迎えたりした。朴氏はすでに1980年代に訪問してくる人たちに環境の重要性を力説した。「これからは、お金を払って水を飲む日が来る。水と生命を大事にしなければならない」。文学的業績も卓越していたが、未来を見据える洞察力はなお驚異的なものだった。

◆朴氏が代表作『土地』を脱稿し、自然の中の暮らしを実践した執筆室は、歳月が経つにつれその歴史的価値が増すだろう。しかし自宅一帯が宅地として開発され、朴氏は原州市内の他の所に引っ越した。朴氏の執筆室はそのまま残されることができたが、周辺は以前の姿ではない。文学的な趣は作家が住んでいた建物だけから醸し出されるのではなく、小説を生み出した空間全体から出る。作家が歩いた道、住んだ町が文学の産室だ。昨日、朴氏の他界のニュースが報じられ、この点が今再び悔やまれるのだ。

◆朴氏が展開してきた環境運動は彼女の小説『土地』と一脈で相通じている。朴氏は普段「すべての生命は、生きていくために、生けるものを殺さなければならない。だから、生命自体が恨(ハン)なのだ」と語った。また「恨から始まる自分に対する憐れみは、すべての生命に対する憐れみへと拡大しなければならない」と社会に求めた。『土地』は生命に対する憐れみと愛が盛り込まれた小説だ。その思想が文の中に止まらず、実際に表出されたものが、朴氏の環境運動だった。

◆『土地』は200字の原稿用紙3万1000枚を超える膨大な量の作品だった。朝鮮(チョソン)時代末から1945年の光復(クァンボク=日本植民地支配からの独立)の瞬間まで、韓国社会の長い道程が盛り込まれている。1955年の初めての作品『計算』に始まった朴氏の創作にかける情熱は最後まで冷めることはなかった。朴氏が今年3月に発表した詩『昔のその家』は原州タング同時代を回想している。「辛い歳月は過ぎ/ああ、気が楽だ。年老いてこんなに気楽にいられるなんて/捨てるものだけ残っていて実に身軽だ」。あるインタビューで「私が幸福だったのなら、文を書かなかったはず」と語るほど波瀾の人生を送った朴氏は、去る時だけは穏やかなな気持ちで旅立ったようだ。

洪贊植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com