1984年3月3日付の本紙には、コートを埋め尽くした観衆の歓呼に応える、あるバスケットボール選手の写真が大きく載せられた。その下には、「老兵は消えるが、栄光を残す」「ジャンボバスケットボール元年のチャンピオン・ベルト残して選手生活を終える」という見出しの記事が載せられた。その主人公はプロバスケットボールLGのシン・ソンウ(51)監督。当時、シン監督は、ジャンボシリーズで現代(ヒョンデ)を初代チャンピオンに押し上げた後、引退した。
▲1984年、選手として「ジャンボシリーズ」優勝後、引退〓華やかに舞台を離れたシン監督は、指導者としても成功時代を歩んでいる。プロ監督の中で、唯一1997年の立ち上げの時から現在まで休まず指揮棒を取って、3回も優勝した。先週末には史上初めて、レギュラーリーグで通算300勝を達成する歴史まで書いた。よくスター選手は良い監督として生まれ変わりにくいという俗説がある。しかし、彼は例外だったのだろうか。
季節はずれの雪の降った7日夜に会ったシン監督は、「春は簡単にやってこない」という言葉で口火を切った。彼も名将に仲間入りするまでには厳しい過程を経験したという意味だったのだろうか。
「選手の時にはいつも気を使われるばかりで、人に配慮するのは苦手でしたが、コートの外で多様な経験と失敗を重ねてから、新しい世界に気付きました」
▲10年間、大企業で営業をしながら、リーダーシップを身につける〓シン監督は10年近く現代建設や現代証券などで、購買、秘書、営業などの仕事を受け持った。そのような仕事をしながら身につけた世渡りの術、組織管理、リーダーシップなどは監督として働く上でも大きく役立った。計算が緻密で情勢の読み取りに長けていたために付けられた「神算(シンサン)」というニックネームもただで得られたわけではない。
シン監督は何より人材を重視する。「スターをたくさん掘り出さなければなりません。選手らの実力が伸びていくときが一番嬉しいです」
そのためか、コーチにも多くの権限を与える。随時、戦術関連リポートを受けて、一緒に事例研究をする。KT&Gのユ・ドフン監督、電子ランドのパク・チョンチョン、モビスのイム・グンベ、KCCの金グァン・コーチらは、彼の下で着実に指導者授業を受けた。
シン監督は自分自身のことを「傭兵教官」と表現する。この間、ジョニー・マクドエル、ジャーキー・ジョンソン、チャルス・ミンレンドらと呼吸を合わせ、全体の傭兵選抜の雰囲気まで主導した。
「傭兵をうまく使うことが重要です。マクドエルはトラブルを起こすと、残っている年俸を諦めるという覚書まで書いたことがあります」
▲プロバスケットボール、3回優勝…今季も首位を狙う〓シン監督は、プロの創始期に初めて医務トレーナーを起用して、選手の負傷の予防とリハビリに気を使った。今季、優勝を狙うシン監督は早くから来季の設計にも入った。ガードのパク・チヒョンと李ヒョンミンは、6月、米国研修に送る計画で、東南アジア3カ国を巡回する転地訓練のスケジュールも組んでおいた。「明日を準備することほど楽しいことはないでしょう。考えただけで胸がドキドキします」
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