光化門(クァンファムン)の復元工事が始まった。昨年1月に兪弘濬(ユ・ホンジュン)文化財庁長が、光化門にかかった朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領の親筆懸板を交替すると言って論争を呼んだが、先ずは光化門を修復し、その後で議論することにして沈静化した。工事は2009年12月に完了するので、結論は次期政権の仕事だ。光化門の歴史は不幸だった。文禄慶長の役の時に燃えてしまった後、273年間廃墟のまま放置された。1865年に大院君が再建したが、1927年に日本は朝鮮総督府の庁舍を建てるとし、景福宮(キョンボクグン)の東方に丸ごと移してしまった。
◆それさえも韓国戦争の時に爆撃にあい、石の部分だけ残って消失した。現在の位置にまた建てられたのは1968年のことだ。当時も復元は復元だった。ただ、現在は撤去された朝鮮総督府庁舍の中心軸に合わせて建てて有るために、元の位置から北に14.5m、東に10.9m後ろの所に位置することになった。石材はそのまま移して使ったが、門樓は木ではなく、コンクリートで建てられた。今見ればぎこちないが、産業化時代の方式だったわけだ。
◆文化財庁は今回が「本当の復元」と強調する。元々あった位置に戻すのに加え、門樓も木材にするというのだ。しかし、時間を取り戻すことができないように、原型を取り戻すことは不可能だ。それで、復元らしい復元が必要だ。例えば、他所に残っている正祖大王(朝鮮王朝第22代)の字を集め、光化門の懸板を取り替えるという兪弘濬文化財庁長の発想は、朴正煕時代を埋めてしまおうという政治的な戦略に過ぎない。
◆1960年代に建てた光化門も歳月が経てば歴史になるだろう。それを崩して建て直そうとするには、より優れた文化財を作る能力と責任感がなければならない。光化門が取り壊される直前の1922年に親韓派日本人の柳宗酇は、「光化門を失えばソウルの中心を失う」と語った。光化門はソウルの歴史的心臓部に当たる。しかし、すでに光化門の後ろに新しく建築された各宮廷は、それとは違いみすぼらしい感じだ。昔の光化門と似ている「イミテーション」を建てるなら、テレビのセットと変わらない。今の時代を代表する「新しい光化門」を建てる力量が政府にあるのか。
洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com






