15日、蚕室(チャムシル)室内体育館で行われたワールドバスケットボールチャレンジ(WBC)韓国と米国の試合。米プロバスケットボール(NBA)の最高のスターらとの勝負はすでに決まったも同然だった。時間が経つにつれて広がるばかりのスコア。しかし、韓国の選手は最後まで諦めなかった。試合終了直前、韓国の唯一のダンクシュートが決まった。リングが壊れんばかりに強く差し込んだ強力なツーハンドダンクに観衆は熱い拍手を送った。主人公は韓国バスケットボールの希望として浮上した金ミンス(24、慶熙大)。
「その日、試合の途中、けがをして身体の調子がよくありませんでした。でも、最後までやってみようという覚悟でプレーしました」
驚くべきスピードとパワーでコートを駆け回った2メートルの巨体だったが、近くで見た金ミンスは子供っぽくて純粋な青年だった。金ミンスはアルゼンチン人の父親と韓国人の母親の間に生まれた「ハーフコリアン」。子供の時は、家に自動車が3台もあるほど豊かな暮らしをしていたが、8年前に父親が心臓病で亡くなってからは暮らしが悪くなった。
高校卒業後、知り合いからバスケットボールをやってみてはどうかと薦められ、02年7月、慶煕(キョンヒ)大学でテストを受けた。異域万里から単身で韓国へ来た金ミンスは、03年から寮で生活しながら、本格的に慶煕大のチェ・ブヨン監督の指導を受け始めた。翌年、正式の新入生として入学し、その年11月には韓国国籍も取得した。実力も着実に伸びて、今年6月には全国大学バスケットボール連盟戦で最優秀選手賞や得点賞、守備賞の3冠王を席巻し、慶煕大を大学バスケットボールの頂点に押し上げた。
金ミンスは携帯電話を持っていない。ガールフレンドもいなければ、合コンにも関心がない。もっぱらバスケットボールだけに関心がある。実力を認められて、一日も早くプロの舞台に立つのが目標だ。
「母は末っ子の私を一番可愛がっていました。母は今もアルゼンチンで苦労しています。4月には肉屋で働いていて手が半分も切れてしまいました。大会の途中でその話を聞いたのですが…。すぐ母のところに行きたかったんですけど、我慢しました」
彼がプロに行かなければならない理由はまさに母親だ。
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