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夢を食べて生きる李承鎏

Posted July. 18, 2006 03:27,   

李チュングァン(63)さんにとって、李承鎏(イ・スンヨプ、30、読売)は2男1女の中の可愛い末っ子であると同時にやさしい息子だ。うわさが立つほどの親孝行者でもある。

李承鎏は、対外的にも弱い姿を何回も見せた。03年シーズン後、韓国残留と日本進出の間で悩んだあげく、日本ロッテ入団を発表した後、結局泣き崩れた。選手協議会事態が起きた時も、苦悩の末に涙を流した。

しかし、優しそうな顔の裏に芯の強い頑固さが隠されていることは、誰も知らなかっただろう。

決定的な瞬間、李承鎏はいつも我を通した。誰が何と言おうとも、自分の考えどおり行動した。そして、結果はいつも、李承鎏の望みどおりになった。

李承鎏は小学校4年生の時、父親の李さんの反対を押し切って野球を始め、大学への進学を望んだ親の意に逆らって、プロに行った。李承鎏は03年の一シーズンで、アジア本塁打新記録(56個)を立て、最高のスターにのしあがった。

03シーズン後には韓国残留を望んだ李さんの望みとは違って、日本進出を選んだ。

初年度、李承鎏は少なからぬ苦労をした。生まれて初めて2軍降格も経験し、ベンチを守る日も多かった。しかし、翌年に30本塁打を放ち、今年は日本最高名門球団である読売の4番にまでなった。

日本リーグ最多本塁打を記録中の李承鎏をめぐって、早くから、大リーグと読売の争奪戦が始まる兆しが見えている。

果たして、シーズン後、李承鎏はどんな選択をするのだろうか。父親の李さんは、これについて「承鎏は夢を食べながら生きる人間です。山の向こうに虹があるとします。それを取りに山を越えてみれば、虹はまたその向こうに行っています。承鎏はそのように生きています。絶えず挑戦し、厳しい道を選ぶのです」と語った。

李承鎏が03シーズン後、三星(サムスン)の破格の条件を断って日本に行ったことも、05シーズン後に年俸が削減されてまで読売に移籍したことも、やはり大リーグ行きのための準備段階という解釈が可能だ。

まさにその意地が、今日の李承鎏を作った原動力ではないか。大リーガー李承鎏は、彼の意地の完結版になるだろう。



uni@donga.com