景福(キョンボク)高校2年生の1974年に米国に移民、ハーバード大学卒業、伝統を持つウィリアム&メリー大学法科大学院卒業、韓国企業を相手にした弁護士生活11年…。
ムン・イルリョン(49)弁護士は95年、このような楽な生活の枠から脱したい誘惑に駆られた。それは新聞で、たまたま任命職の地域教育委員を選挙で選ぶという記事を読んだ直後のことだった。
しかし、彼が出馬したバージニア州のフェアファックス地域は首都ワシントンの近郊地域らしく、高学歴・高所得の白人が主流を成している地域だった。韓国では「米国の8学群の一つ」と呼ばれる地域だ。
民主党の支援を得たムン弁護士は、選挙の期間ずっと「17歳に米国に来て、ゼロの状態で努力して成功を成し遂げた。良い教育の結果だ。韓国人の教育熱をもって、私の地元の子どもたちの未来教育に傾ける」と言うメッセージを投げかけた。結果は「思いがけない当選」。バージニア州で最初の東洋系からの選出職公職者が誕生したのだ。
教育委員の席は名誉職に近い。年間1万2000〜1万3000ドルの報酬が出るが、週に30時間ほどの仕事をしなければならない席だ。しかし、年間21億ドル(約2兆1000億ウォン)に達する膨大な教育予算の投資優先順位の決定、教育熱の高い地域での学群調整などの主要業務を担当する。
ムン弁護士は、現在12人の委員が互選する1年任期の委員長を引き受けている。99年選挙では落選したが、2003年に再挑戦して当選した後のことだ。
彼が3回も教育委員選挙に挑戦した理由が知りたかった。彼の答えはやや悲壮だった。「一応ハーバード大学を出たが、僑民を相手にする弁護士生活に甘んじたということが何となく恥ずかしかった。新しく米国に移民する後輩たちに、楽な道を行けとは言えなかった」という。
「あなたは弁護士なのか、政治家なのか」という質問をしてみた。すると彼は、「私は政治家だ」と答えた。「お金は弁護士で儲けるが、私の心は教育委員長の席に向かっている。弁護士の仕事より本当に楽しい」と話した。他の選出職への挑戦は、という問いに彼は「機会があれば厭わない。しかし、それは時機を見ながら決める」との余韻を残した。
同日のインタビューは彼の事務室ではない、ある高校の体育館で行われた。教育委院長らしい「場所の選定」と思われるが、そこでは高校1年生の彼の2番目の息子がバスケットボールの試合をするところだった。彼は「10回余りの試合のうち、1度を除いて息子の試合をすべて見守っている」と話した。ワシントン市内の高校でピアノを教えている奥さんの空席を、教育委院長の父親がしっかり埋めていた。
srkim@donga.com






