次期大統領候補に名が挙がる人物の事務所に、教授たちの訪問が絶えないという。諮問役を引き受けると言ったり、長文の報告書を持ち込んだりする。当選後の見返りを狙う人たちだ。選挙の度に出馬する教授もいる。講義室を長期間空け、落選すれば何事もなかったかのようにまた講壇に立つ。第17代国会議員のうち、教授出身は25人にのぼるが、大半が大学に辞表を出さず休職した状態だ。両方を行き交うということだ。
◆学界長老の鄭範謨(チョン・ボムモ)教授が、教授たちの「官職への欲求」を非難した。最近、著書『学問の条件』で、鄭教授は「官辺機関でどんな官職に就いたのかを重視し、おだてる」大学の風土を嘆いた。長官をしてから教授として舞い戻ってきた人を、「金教授」ではなく「金長官」と呼び、本人もそう呼ばれることを望むという。テレビ出演、委員会、社会運動に熱中し、どれが本職なのかわからない教授もかなりいるらしい。ある教授は、学校の外に事務所まで設けている。
◆金泳三(キム・ヨンサム)政権後、長官に起用された教授は47人で、全閣僚の20%にのぼる。現在、政府傘下の委員会の40%を教授たちが占める。「官職教授」に対して鄭教授は、「学問とは、官吏になるためのものだという昔の官学観の影が垂れ込めている」と指摘した。朝鮮時代、ソンビ(文士)は科挙の合格が最大の目標であり、都落ちしても朝廷の命を待った。その政治志向性が、いまだに続いているという話だ。しかし、学問のために存在する教授は、昔のソンビとは歳月の違いほど役割が異なる。
◆「官職教授」の裏には、さらなる影がゆらめく。時間講師の悲しい立場だ。教授たちが休職をして政治に進出すれば、その席は低賃金の時間講師が補う。席が空けば教授の夢が叶えられる彼らにとって、「教授の地位も惜しく、官職も欲する」教授たちはどのように映るだろうか。席を移す時はやめるのが望ましい。昔のソンビ精神から学ぶべきことは、何度も官職を断った李退渓(イ・テゲ)のような偉大な学者の「潔さ」の美学である。
洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com






