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74年の文世光事件、米国が韓日関係の突破口開いた

74年の文世光事件、米国が韓日関係の突破口開いた

Posted January. 20, 2005 22:45,   

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20日に公開された文世光(ムン・セグァン、1974年の朴正煕元大統領狙撃未遂事件を起こした人物で北朝鮮支持の在日韓国人)事件関連の文書によると、韓国政府は捜査過程で日本側が誠意のない姿勢で一貫するや、米国に対して日本政府に働きかけることを要請していたことが明らかになった。

実際、1974年9月4日、咸秉春(ハム・ビョンチュン)当時駐米大使が米国務省次官補のハビブ氏に秘密裏に会ったことに続いて(9月4日、外務部緊急文書)、5日には金東祚(キム・ドンジョ)外務長官がエリクソン米国大使代理との面談で、「米国はハジスン駐日大使を通じて、米国訪問を控えている田中首相か木村外相に影響力を行使してほしい」と持ちかけた(9月5日の面談要録)。

これを受けてエリクソン大使代理は「これまでの韓日関係をさらに悪化させる突発的な動きがないことを望む」と述べた。

しかし、日本の立場に変化がないため金長官は9月9日、エリクソン大使代理に会って、「田中首相が米国訪問以前に親書を送らなければ、駐日韓国大使の召還、長官の辞表提出、駐日公館の撤退に踏み切ると日本大使に明らかにした」と述べた。

このように韓日感情が悪化の一途を辿るや、ハビブ次官補は9月10日、駐米公使に電話をし、「親書の内容に対して、韓国は過度に強硬な態度を示さないでほしい」と事態収拾に乗り出していた事実も明らかになった。

韓日の両国関係は崩壊寸前、米国が仲裁に乗り出して突破口が開かれた。

ハビブ次官補は13日に朴槿(パク・グン)駐米公使、14日に尹河珽(ユン・ハジョン)駐日公使の順で会って、「韓国の総連規制要求は非合理的」とし、日本側の案を受け入れることを要求した(9月13日、14日、外務部報告文書)。それから二日後、金長官と後宮駐韓日本大使は、田中首相の親書に対する原則的な合意に達した(9月17日、外務部報告文書)。



崔永海 yhchoi65@donga.com