Go to contents

代表12年でPT戦は初めて 女子ハンドボール主将の李尚恩氏

代表12年でPT戦は初めて 女子ハンドボール主将の李尚恩氏

Posted September. 01, 2004 22:29,   

04アテネ五輪の最後を熱く盛り上げた韓国女子ハンドボールチームの主将であり「核シューター」の李尚恩(イ・サンウン、29、ヒョミョン総合建設)。彼女は五輪が終わってから、急に有名人になった。

●レストランでも、タクシーに乗っても「お金のことはいいです」

「きのう友達と三枚肉(サンギョプサル)を食べましたが、食堂の主人がお金を受け取らなかったんです。隣のおじさんは飲み物を頼んでくれて、タクシーに乗ったら、タクシー代も払わなかったんです」。いきなり変わった周りのもてなしに自分もびっくりしている様子だ。

1日午前自宅の仁川延寿区(インチョン・ヨンスグ)のマンションで彼女と会った。マンション団地の入り口に「李尚恩の銀メダル獲得、おめでとう」という垂れ幕がかかっていたので、家を探すのが容易だった。五輪決勝戦で歯を食いしばって大砲の弾みたいなシューテングを放つ厳しい表情を覚えていた記者に、半ズボンにだぶだぶのTシャツ姿の李尚恩はなんだか慣れない気がした。

「デンマークとの決勝戦は序盤からあまりにも薄氷の勝負だったので、試合そのものに完全に没頭していました。12年の代表生活の中で、PT戦をやったのは初めてのことですから」

韓国は前後半を25—25で終えた後、2回の延長戦にもかかわらず、勝負を決められなかった。

「前後半を同点で終えて心配だったんです。1996年アトランタ五輪の時、決勝戦でデンマークと戦って延長戦で負けたんです。延長1回戦で反則のため2分間退場させられたときはほんとうに気をもみましたね。体力はほとんど底をついたのですが、延長2回戦まで持ち込まれたら、意地が出たんですよ。『本当にやっとの思いでここまでこぎ着けたのにこのまま負けられない』という気持ちでプレーしました」

今度の代表チームはおばさんチーム。結婚した選手がオ・ヨンラン(33、ヒョミョン総合建設)、ホ・ヨンスク(29、釜山市体育会)、イム・オギョン(34)、オ・ソンオク(33、以上メイフレーズ)の4人もいて、この中でイム・オギョンとオ・ソンオクは子どもを持つお母さんだ。なのに最後までぴんぴんしていた。その力はどこから出たのだろう。

秘訣はイム・ヨンチョル監督の特別訓練。まさに02韓日ワールドカップ(W杯)を控えて、ヒディンク元監督が実施した「パワートレーニング」だ。

「6月中旬から8月初めまで1週間に1度ずつ計6回やりました。20m往復競走をしますが、だんだん走る速度を上げて、選手たちが完全にくたびれるまで続くんです。これが終わると、すぐ20分間練習試合をして、また往復競走をしました。これが厳しくて厳しくて、後輩のチャン・ソヒが失神して救急車に運ばれていったこともありましたから」

ハンドボールは激しいスポーツとして名高い。しかも、体格がはるかに大きい外国選手との試合は「戦争」に他ならない。守備も攻撃も体を完全に放り投げなければならない。

●試合が終わると、「体中がパスだらけ」でよく眠れないほど

「試合が終わると、全身に青いアザができるんです。痛いので、パスで体を張り尽くすんですが、パスのため体中がほてって、大会期間中によく眠れなかったんです」。

李尚恩は前所属チームのアリアンツ生命が解体されて、8ヵ月間無籍の選手として暮らした。そのうち、最近創設されたヒョミョン総合建設の創団メンバーとして入った。インタビューが終わったら、彼女は選手召集があると言って、荷造りを始めた。

お母さんのユン・オクブンさん(63)はアテネから帰ってきて1日しか経っていないのに、また家を離れる娘のことが名残惜しそうだ。10年前、夫が建設現場で事故で亡くなった後、一人で娘の面倒を見てきたユンさんは、家を出る記者に「うちのサンウンは父親のお墓参りにはよく行くんですよ。良い子でしょう」と一言言った。その顔には娘への愛情が溢れていた。



金晟圭 kimsk@donga.com