われわれはアテネについて多くのことを知っている。五輪のおかげでもあるが、私たちが学んだ世界史の教科書が西洋史中心になっているからだ。あらゆる神々の名前と彼らが象徴する意味をまる暗記して知っている。ローマ帝国についても知ることが多く、英国とフランスの王朝と革命についても博識だ。これに比べて隣国の中国や日本の古代史に対する私たちの理解は極めて物足りない。我が国の教科書が西洋中心に偏っていて、我が国が入っている東洋は過小評価されているためだ。一種の「歴史歪曲」と言える。
◆歴史は万人の重大事である。歴史を通じて自分のアイデンティティと現在を確認し、未来を設計することができるからだ。しかし、歴史は「歴史的に」ぼろぼろだった。ねつ造と歪曲は言うまでもなく、甚だしくは歴史が「創造」され「発明」されたりもした。ありのままの事実を記録する普遍史ではなく、特殊な利害関係が介入した歴史がたくさんあったからだ。誰が世界を支配したかによって世界史の中心が変わり、誰が国家権力を握るかによって国史の中心が変わった例は、一度や二度ではない。だから歴史は万人の重要事であるにもかかわらず、歪曲の誘惑にさらされてきた。
◆21世紀に入って北東アジアの力関係に重大な変化が訪れた。中国は経済大国として位置づけられ、日本も世界的な強国への再跳躍を夢見ている。自信に満ちており、民族主義と国家主義的な傾向も強い。経済分野では協力と統合を唱えながらも、領土と歴史の問題になると、民族主義的な思考とアプローチを見せる。我々も民族主義と国家主義を振り放し難い境遇にある。その結果は対立と緊張だ。
◆今、北東アジアの歴史が歪曲の誘惑に苦しめられている。高句麗史問題をめぐって韓中関係に不協和音が生じており、東海と独島に関する教科書記述問題で韓日間にも緊張感が高まっている。協力と統合の時代にまことに遺憾な事である。同じ証拠を前にしながら、どうして違う解釈の出ることが多いのかを究明するのも、歴史家の課題だ。対立と緊張のため、平和と共同繁栄というメッセージになおさら重みが感じられる。
李洙勳(イ・スフン)客員論説委員(慶南大学教授)leesh@kyungnam.ac.kr