Go to contents

百人百色 歴代外国人監督の韓国適応法

Posted July. 12, 2004 22:35,   

韓国でサッカー代表チームを指導する外国人監督。慣れない他国で彼らはどのようにして生き残れたのか。

アフリカと中東を転々しながら、「雑草」のような生命力で名声を築いてきたボンフレール現監督(58)は韓国文化への馴染み方もまさに「雑草式」だ。キムチに白ご飯でも瞬く間に平らげる監督の姿には笑わずにはいられない。サッカー協会広報室の李ウォンジェ次長は「韓国に来て一ヵ月しか経っていないのに、まるで10年以上暮らした人のようだ」と話す。

サッカーの韓国代表を率いた初の外国人指導者は、1991年から1年間五輪代表チームの技術顧問を歴任したドイツ出身のクラマー監督(79)。以後、ウクライナ出身のアナトリー・ビショベッツ監督(58)とフース・ヒディング監督(58)、ウンベルト・コエリョ前監督(54)が次々と韓国にやってきた。

このうち、韓国に最もうまく適応したのはヒディング監督。あの彼も01年、韓国に来たばかりの時期は大変居心地の悪い思いをした。特に、敏感だったのは、ヒディング監督が夫人でもなくガール・フレンドだったエリザベスさんを同伴してきたこと。これが多くの噂を生み出した。監督は、悩んだ末、「彼女が好きで仕方ない」と率直に告白し、韓国サッカーファンの心を変えさせた。

ヒディング監督は韓国に馴染むために、ずるかしこい振る舞いもした。韓国料理が好きではないけど、選手団との食事会の際はつたない箸使いをしてみせるなどショーマンシップを発揮していた。また、協会関係者らと一緒の時は、ビール一杯にシナトラの「マイ・ウェイ」を見事に歌い上げ、周りの人の心を魅了した。

一方、1994年から2年間、五輪代表チームを受け持ったビショベッツ監督は、マスコミに対して極めて厳しい態度を取った指導者。インタビューの時もあまり喋らないし、スタジアムでの取材の際は記者にもスニーカーを履くよう要求するなど、ぶっきらぼうな態度によって取材陣との摩擦が多かった。非難が高まるや、監督が取り出した切り札は「招待」。記者やサッカー協会の関係者らを自宅に招き、奥さんが用意した手作りの料理でともに食事をすることで誤解を解いたりした。

1991年当時66歳だったクラマー監督は、韓国の礼儀作法と敬老思想などをしっかり把握した指導者。彼は選手らを「グランドサン(孫)」と呼び、実のお祖父さんのようにやさしく扱った。当時、五輪代表だった徐正源(ソ・ジョンウォン、三星)は「監督に叱られた私たちを呼び出して『あなたたちの実力は国際レベルだ』と慰めてくれたクラマーじいさんのお陰で自信を持つことができた」と語った。

これに対し、成績不振により中途脱落の不名誉を着せられたコエリョ監督は、韓国文化にうまく馴染めなかったケース。フランス出身の夫人と二人の娘と暮らし、周囲とは付き合いがあまりなかった。「家族に会いたくないか」という質問に「今はアジア杯での優勝以外は眼中にない」と答えるボンフレール監督とは好対照。



權純一 stt77@donga.com