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ボンフレール監督とは

Posted June. 18, 2004 22:35,   

1996年8月1日、アトランタ五輪男子サッカー準決勝のブラジル対ナイジェリア戦。ベベトとホベルト、カルロスが布陣したブラジルは優勝候補第1位。試合初盤、ナイジェリアは1対3で負けていた。誰がみてもブラジルの勝利は明らかだった。だが、アフリカの「スーパー・イーグルズ」ことナイジェリアは、この試合を4対3で逆転勝した。

3日後、ナイジェリア対アルゼンチンの決勝戦。ナイジェリアはエルナン、クレスポが率いるアルゼンチンに1対2で遅れをとり、再び3対2で逆転勝ちを決め、優勝した。

これは全てヨ・ボンフレール(オランダ)監督の作品である。ボンフレール監督は自由奔放で自己主張が強いアフリカ選手を強いカリスマで一つに取りまとめ、決してあきらめない「逆転の黒い戦士」に作り上げた。ヌアンクォ・カヌ、オーギュスタン・オコチャ、エマニュエル・アムニケ、ダニエル・アモカチらは、ボンフレール監督の直・間接的な指導を通じて世界的な選手に成長した弟子である。

90年ナイジェリア国家代表チームの首席コーチとして世界舞台に登場したボンフレール監督は、ナイジェリアとカタールの代表チームをリードし、各種の大会で旋風を巻き起こした。4−4−2フォメーションを得意としている。

現地でボンフレール監督と面談した許丁茂(ホ・ジョンム)韓国サッカー協会技術委員会副委員長は、「性格は落ち着いている。山千海千のボンフレール監督は危機に直面した韓国サッカーに必要なものがなんであるかをよく知っているようだった」と語った。

ボンフレール監督は2000年8月ナイジェリア五輪チームを率いて訪韓し、当時許丁茂監督が率いていた韓国五輪チームと2度評価試合を行った縁もある。両試合とも韓国が5対1で勝利。

当時技術委員長だった李用秀(イ・ヨンス)世宗(セジョン)大学教授は、「ボンフレール監督のサッカーのカラーはよく知らなかったが、96年のアトランタ五輪の優勝経歴を高く評価し、韓日W杯を控えてエメ・ジャケ、ガース・ヒディンク監督に継いで監督候補3位にあげていた」とし、「アフリカと中東など他の文化圏でも指導者生活をした多様な経験が、韓国代表チームを指導するのに役に立つだろう」と述べた。

李会擇(イ・フェテク)技術委員長も、「サッカーの哲学を論じるには早いが、監督が困難な環境を克服したことを考えれば指導力は疑う余地もなく、カリスマも持っているものと知っている」と話した。



梁鍾久 yjongk@donga.com