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[オピニオン]帰ってきた英雄

Posted June. 18, 2003 21:42,   

イタリアの都市国家の中でもベネチア共和国はユニークなことに、英雄を拒否する「アンチ・ヒーロー」の国家であった。ベネチア人の気質は、現実主義的で共同体意識が強かった。それもそのはず、ベネチアは海の上に位置していたため、外国との交易のほかに生存手段がなかったのだ。彼らは、共和国の中で権力が一ヵ所に集中するのをことごとく嫌った。英雄による扇動政治は、国益とは無関係のとんでもない方向に国を煽ってしまうというのが彼らの信ずるところであった。当時、経済力では他の追従を許さなかった「ベニスの商人」ならではの発想だった。

◆べネチアの指導部は、大衆的な人気を集める人物を警戒していた。国家元帥が存在していたものの、実権はほとんどなく、国会があるものの、国レベルの重要な事案は、1年ごとにメンバーが替わる「10人元老委員会」が決定していた。個人は信頼できない存在であり、結局腐敗するというのが彼らの一貫した考えであった。彼らの徹底した「反英雄」哲学が、果たして理想的なものであったかについては、結論づけ難い。しかし、ベネチアが18世紀末、ナポレオンによって滅ぼされるまで1000年以上もの長い歳月の間、栄華を享受できたのは、並外れた政治体制のためだった。

◆英雄か反英雄かの論争は今なお続いているが、今日、英雄の条件が大きく変っていることだけは確かだ。かつて英雄たちは、領土を拡張したり戦争で勝利を収めたりした人物、国を危機から救った人物であった。さらに困難かつ不利な環境を克服したケースまで加われば、大衆はますます熱狂した。「英雄論」の著者トーマス・カーライルは「英雄が歴史を導く」と断言したが、今はかつてのナポレオンやクロムウェルのような少数の政治家によって世界の歴史が左右される時代ではない。むしろ、警戒すべきは、自分が全てをやり遂げられると考える政治家たちの独善と幻想である。

◆今日、英雄を探すなら、目線を下げなければならない。社会の至る所で、黙々と与えられた役割に最善を尽くして自らを犠牲にする人々こそが、現代の英雄たちである。この点で、昨年6月黄海上の銃撃戦で惜しくも散華したり負傷した海軍たちこそが、英雄と言えるに適している。当時、重いけがを負って治療を受けていた李ヒワン中尉が現役に復帰したのは、実に感動的な話である。社会が彼らを励まし称える時、共同体意識と国家としての生存力は、一層強化されるはずだ。それでも「恥ずかしくない軍人になりたい」と、謙遜する彼らに比べると「成功した大統領かどうかは私が評価する」という盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の発言や「敵味方の組み分け」に走る権力層の行動からは歪んだ英雄心理が感じ取られ、後味の悪い気持ちがする。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com