国会情報委員会が、与野党の合意で高泳耈(コ・ヨング)国家情報院長候補者を「不適切」とした報告書を採択したにもかかわらず、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が国情院長任命を押し切るのなら、それはまさに国会軽視である。他の適任者を探すとか、または国会に理解を求めるという最小限の誠意も示さずに、報告書を受け取りながら任命を強行するのなら、国会無視という非難は免れない。
そうなればさまざまな副作用や後遺症が憂慮される。すぐにも行政府と立法府の関係が硬直するだろう。特に政府が野党の協力を期待することは難しくなる。国会の正常な意思決定がこのように簡単に黙殺される現実では、そのような期待すら無理なことだ。したがって対話と妥協の共存政治は、相当期間失われるしかない。
一歩を踏み出したばかりの、権力機関長に対する国会人事聴聞会も、もはや有名無実となった。何の拘束力もない聴聞会を強いてする必要があるのかという「聴聞会無用論」までも飛び出すほどだ。聴聞会に法的拘束力を与えないのは、人事権者である大統領の国会尊重に基づいた政治的拘束力を前提にしたためだが、それすら崩れてしまったからだ。
にもかかわらず、国会情報委の報告書の採択に対して、与党民主党内の進歩派議員らが反発するのは、常識的に理解しがたい二重の自己否定である。過程や手続きに何の欠陥もなく、正常に成立した国会の固有機能を否定することは、まず議会主義を否定することだ。また、党所属議員も同意した内容を非難して覆すことは、政党政治を否定することでもある。
さらに、党所属情報委員らが保守派一色だとして交代を主張することは、いくら内輪の事とはいえ見苦しい。個々人が憲法機関である国会議員が、国民の代表であることを無視して、政党の一介の組織員程度にしか認識していないようだからだ。与党の新主流は、今一方向だけに走っている感じがする。そのような改革なら、国民の共感は得がたいだろう。






