選挙のたびに、有名な寺院の法会に、候補一行が大騒ぎしながら現れるのが、慣行のように繰り返されてきた。カトリックやプロテスタントの信者として知られている人でも、寺を訪れたりする。また、常日ごろは姿も見せなかった候補が、教会の礼拝や聖堂のミサにすっと現れたりする。ときには、その場での言動のために、対立候補から非難されたりする。カトリック教徒であるなしにかかわらず、これといった用件もなしに、金壽煥(キム・スファン)枢機卿に一度会おうとするのも、大統領選挙候補たちの共通点だ。一票でも集めようとする政治家の心情は理解できるが、宗教を政治に利用しようとする心の内は見るに忍びない。もしかすると、韓国にしか見られない光景ではなかろうか。
◆偶然かも知れないが、最近、韓国の政治におけるカトリック教徒の威力(?)は大きい。金大中(キム・デジュン)大統領が、カトリック教徒として初めて大統領に当選したうえに、先の大統領選挙の際に、得票順位で、1、2、3位となった、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李会昌(イ・フェチャン)、権永吉(クォン・ヨンギル)候補も、みんなカトリック教徒だ。韓国のカトリック教徒は、約400万人。仏教徒やクリスチャンに比べると、非常に少ない。にもかかわらず、彼らがあれだけの票を取るところをみると、韓国の有権者は、投票する時、候補者の宗教をそれほど考慮していないようだ。あえて宗教界を訪ねまわる政治家たちの期待とはまったく違う。
◆盧次期大統領は、候補であった昨年6月、金枢機卿に会った。二人が会ったのは、初めてだったらしい。「以前、洗礼を受けました。洗礼名はユストです。でも、信仰生活もまじめでなく、ミサにも出席していなかったので、プロフィールには宗教がないと書きました」(盧)。「あると書けば、聖堂に行かなくてはいけないから…」(金)。「洗礼まで受けてそれではいけない、と神父様に叱られて困っています」(盧)。「神様を信じていますか」(金)。「…信じています」(盧)。「本当に信じていますか」(金)。「少し…信じています。これからは宗教欄に『迷っている』と書きます」(盧)。だが、盧次期大統領の公式ホームページの宗教欄には、いまだに「無」と書かれている。
◆金枢機卿が、最近、あるカトリック系雑誌とのインタビューで、盧次期大統領に再び信仰の道に帰すことを勧めたという。「祈りを通じて、難局を打開する知恵と勇気を神様に求めることを祈る」と書いてあったとか。実際、これからぶつかるであろう困難を克服できる道を探すためには、これまで宗教がなかった人でも、改めて信仰を持ったからといって、悪く言う人もあるまい。もちろん、決定は、当然、盧次期大統領がすべきだ。いかなる選択をするにせよ、次期大統領は、枢機卿の言葉に込められた憂国の心情と深い愛情を、常に心して、国政では迷うことのないよう祈る。
文明豪(ムン・ミョンホ)論説委員 munmh97@donga.com






