盧武鉉(ノ・ムヒョン)次期大統領の「ノサモ(盧武鉉を愛する会)」への関心は格別なものにならざるを得ない。党の大統領公認候補選び選挙と大統領選挙の過程で見せた「ノサモ」の涙ぐましい活動を、盧氏は決して忘れれないだろう。
先週末、「ノサモ」の会員らと夕食をともにした席でも、盧次期大統領のコメント一つひとつには、非常に深い愛情が盛り込まれていた。盧氏は「これまで落選運動はあったものの、当選を目指した運動は初めてであり、今後そうした運動が、地域を中心に続けて起きるだろう」と話した。それとともに「みな様はわたしとともに事故を起こした共犯であるから、続けて良い役割を果たしてくれるものと信じている」と励ました。「考え方を広げるれば、やることがとても多いものと思われる」とも語った。
政界一角では、このコメントについて、「ノサモ」が今後も続けて活動し、とくに来年の総選挙で一定の役割を果たしてくれることを期待しているとの意味に解釈している。解釈があたっているならば、果たしてそうした活動が盧氏自身のために良いことなのかどうかについて、当事者らは慎重に考えてみなければならない。
現在「ノサモ」は存廃問題をめぐって頭を悩ませており、ホームページではこうした議論が盛んに行われている。目標を実現したのだから、そろそろ歴史のなかへ消え去るべきとの見方と、他の性格の集いに転換し活動を続けるべきとの見方が対立している。「ノサモ」は、次期大統領が就任する前に、電子投票を行い決める予定だという。
こうした状況で、盧次期大統領が「ノサモ」の進路に影響を与え得るコメントをすれば、誤解の素地がある。韓国政治の属性から考えて、次期大統領の考えによって活動し続けるようになると、権力化したり政治団体となり、副作用を生む可能性がある。「大統領の私的組織」との負担も少なくないだろう。
スタートがそうだったように「ノサモ」は、いまでも自発的な支持のための集いだ。それが、「ノサモ」の特徴であり、成功の要因だった。それなら、廃止であれ存続であれ、また、存続するならば活動はどうすべきかについても「ノサモ」が自ら決めるのが正しい。周辺のさまざまな懸念が、き憂であるよう願いたい。