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400年前の妊婦のミイラ、京畿道坡州で発掘 

400年前の妊婦のミイラ、京畿道坡州で発掘 

Posted November. 06, 2002 23:04,   

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朝鮮王朝時代16世紀の権力者、尹元衡(ユン・ウォンヒョン)の従孫女(甥の娘)が出産の途中、子宮破裂で死亡し、胎児と一緒に半ミイラ状態の遺体で発掘され、学界の大きな関心を集めている。

発掘を担当していた高麗(コリョ)大学の発掘チームは6日、「436年前に死亡した妊婦と胎児の遺体が、ほぼ完璧に保存されているのは世界に例のないことだ」と発表した。

妊婦のミイラは、9月に京畿道坡州市交河邑(キョンギド・パジュシ・キョハウップ)坡平尹(パピョン・ユン)氏一門の墓から発見され、高麗大学チームの調査によると、女性は20代初めか半ばで、出産の途中、子宮破裂で死亡したことが分かった。

発掘に参加した関係者は、「各種の遺品から見て、女性は尹元衡の兄、尹元亮(ユン・ウォンリャン)の息子である尹紹(ユン・ソ)の娘と思われる」と述べた。

尹元亮(1495〜1569)は敦寧府都正という官職にいた。敦寧府は朝鮮時代に王室の外戚を管理する部署。尹紹は郡首(今の都知事)をしたと記録されている。

当時尹氏一門は王の外戚として権力をほしいままにした。尹元亮の妹は、第11代王中宗(位1506〜1544)の妃である文定王の后で、尹紹の妹もやはり仁宗(第12代王、位1544〜1545)の後宮だった。

尹氏一門の族譜によると、尹紹は正妻から一人の息子を、妾妻から二人の息子と一人の娘をもうけたと記録されており、ミイラの主人公は妾妻の子とみられる。

高麗大学チームの調査結果、女性は155センチの小柄で、子宮に長さ2〜3センチの裂傷があった。胎児の頭は外から見える状態だった。

レントゲン写真や磁気共鳴映像撮影(MRI)などの検査と、女性の腹部を直接切開して確認した結果、胎児は母体の腹部の右側に足があり、身体には血痕が見られ、男の子であることも確認された。

専門家は、母子の遺体が完璧な半ミイラ状態に保存できたのは、死亡当時の季節と棺の形のためだと推察している。

棺には「丙寅潤十月」という内容のハングル文字が発見され、死亡時期は陽暦で1566年12月と推定される。また、遺体は木棺の外にまた別の木棺を作り、これに石灰を塗って埋められた。石灰がセメントのようにかたまって、棺が外部と遮断され、ほぼ真空状態を作り遺体が保存されたという。専門家は、この女性が実家で結婚し出産の途中亡くなったために、婚家ではなく実家一門の墓地に埋められたとしている。

これと関連して、国立民俗博物館の金ヨンジェ学芸士は、「これは結婚した後、子どもを産むまで夫と一緒に実家で暮らしてから婚家に行く、『于帰』という風習によるものだ」と述べた。発掘現場からはハングル文字の手紙一通と草書体の手紙2枚も発見され、この研究も進められている。



李成柱 朱性元 stein33@donga.com swon@donga.com