人の肌の色は、どれくらい種類があるのだろう。人類学者らは、肌の色を基準に白色人種、黄色人種、黒色人種、ここにアメリカのインディアンズに代表さえる赤色人種と東南アジアの褐色人種の5つに分類する。しかし、白人も厳密に見れば、肌の色はひとつではなく、黒人もみな同じ黒ではない。我々も、ひときわ白い人や黒い人がいるではないか。そう考えると、人の肌の色は、千差万別だ。米国には、肌色(Skin Color)という名のクレヨンセットに実に18種類の異なる色が含まれるという。まあ、人種の展示場とまでいわれる米国だから、肌の色も様々だろう。
◆我々にとっては、まだ肌色はひとつしかない。クレヨンや水彩絵の具で「肌色」と名付けられたまさにその色のことだ。技術標準院が1967年に韓国産業規格を定めた時に、日本の色の名前をそのまま翻訳したのが「肌色」だ。当時は外国人に会うことがまれだったため、そうだったとしよう。世界が狭くなり、口さえ開けば国際化を叫ぶ最近になっても、肌色がひとつしかないとは…。日本はすでに4年前、肌色の名称を薄いオレンジ色を意味する「ペイルオレンジ」に変えた。にもかかわらず、我々は35年も今も同じで、子供たちは人を描く時、顔には決まって肌色の絵の具を選んで塗る。
◆肌色に対する固定観念は、肌の色が異なる有色人種に対する偏見を生む。黒い肌の混血児がいじめられることや、東南アジアやアフリカから来た外国人労働者が差別的待遇を受けるのがその例だ。我々の肌の色だけが人の肌の色ならば、残りの人たちのことを何だと思っているのだろう。先日テレビに出演したある外国人労働者の言葉に、我々は恥ずかしさを禁じえない。地下鉄である子供が「あのおじさんはどうして顔が真っ黒なの」と言うと、母親が「洗わないからああなったんだよ」と答えたそうだ。肌の色は、ただメラニン色素が多いか、少ないかの違いでしかない。
◆国家人権委員会が「クレヨンと水彩絵の具の特定の色を肌色と名付けたのは、憲法に保障された平等権に対する侵害だ」とし、技術標準院に名称を変えるよう勧告した。肌色に代わる名前としては、桃(ポクスンア)色、アンズ(サルグ)色などが挙げられているそうだ。遅いにせよ、いいことだ。ひとつ付言するならば、今回の措置が黒い肌に対する蔑視だけでなく、白い肌に対する盲目的な憧れもなくす契機となればと思う。肌を白くするために、高価な美白化粧品を買ってぬり、それでも飽き足らず、肌を剥がす剥皮術まで辞さないという御時世だ。
崔和敬(チェ・ファギョン)論説委員






