「週休2日制」をめぐる攻防が続いている。2000年10月に労使政委が合意して以来、具体的な施行案をめぐり、1年半以上もの間、口論が絶えないでいるのだ。あせった政府は、中央省庁の公務員と公共機関に対し、モデル的な運営の手引きを出した。何とか風穴を設けようとした挙句の苦肉の策なのである。すると、7月に予定されている施行対象機関の動きにスピードはついたものの、依然として妙案はない状態。経営者たちは、これ以上引き下がれないと強気に出る一方、労働界は、労使政委員会の合意代案が、かえって「退行的野合」だと主張している。こう着状態はいつまで続くのであろうか。
使用者の立場からみて週休2日制は、生産体制に重大な変化をも覚悟しなければならない制度であり、労働者の観点からは「仕事と余暇」に対するパラダイム的転換を図るきっかけである。2500時間にのぼる年間労働時間を2000時間程度に短縮しようということは、労働依存的生産体制が依然としてかなりの比重を占めている韓国においては、いわゆる「革命的提案」と言わざるをえない。その段差を超えるのに何年も費やしている理由がここにある。
もはや、週休2日制の必要性と時宜性については、誰も異議を唱えない。問題は費用の分担である。韓国における労働者の平均時給を7000ウォンとすると、労働時間の短縮による年間総コストが350万ウォンにのぼるが、これを誰が負担するのかということだ。労働時間の問題は、さらに各種手当て、労働形態、勤務規則に影響するだけでなく、家族関係と余暇生活に連鎖的な変化をもたらす「台風の目」である。
この時点で私は、韓国における社会政策にみられる二つの特徴を指摘したい。逆進性と国家主導主義がそれである。
先ず、逆進性とは、貧困層の労働者が政策の優先的恩恵対象から常に除外されることを意味する。失業保険は、初期において70人以上の企業を対象にして実施されており、非正規職とパートタイム労働者たちは、今なお各種社会保険の恩恵に預かる事ができないでいる。ある意味では、週休2日制が最も切実な人は、非正規職と女性労働者層、零細事業上場で働く労働者たちである。短くなった労働時間を活かして内職でも探さない限り、貧困の攻撃から身を守ることはできないはずだろうから。
ところが、労使間の「合意代案」は、零細事業場の制度の施行を10年後に見送り、生理休暇と有給週休日を無給化することを勧告している。短縮された4時間に対し、賃金割増率を勤労基準法の半分にあたる25%に策定したのも、賃金削減不可を固守している労働界の怒りを触発させた。苦労して作られたこれらの勧告条項は、支払能力を持っている大企業と、相対的に余裕のある大企業の労働者らにとっては、結局受け入れるのも可能だろうが、問題は零細企業である。労働時間が利潤の主要源となっている中小企業にとって週休2日制は、まるで死刑宣告のようにも感じられるのである。
次に、国家主導主義の問題である。週休2日制をなんとか導入しようとする労使政委員会の取り組みには拍手を送りたい。一部で持ち上がっている労使政委員会無用論は、事実上「期待のインフレ」が生んだのも同然だ。しかし、ろくに機能していないとする世間の非難と異なり、この場合私は、労使政委員会が「行き過ぎた」と評価したい。労使の自律に委ねるとしながら、細部項目にまで基準を示して、やぶ蛇となった形だ。施行時期を、企業の規模と部門別に例示するとか、年月次の統合と弾力的な労働時間制の提案、その他労働形態と支払い規定に関する原則などは、ガイドラインではなく、一種の新たな規則のように受け止められた。労働界から「週休2日制を口実にした労働改悪」とらく印を押されたのはこのため。
具体的な代案まで作ったからには、さぞ切羽詰った事情もあったはずだと察しはつくが、国家主導主義的発想は、ここにも克明に現れている。およその輪郭と方向を定めておき、残る細部項目は企業現場の労使交渉に任せるべきだった。ただ、国の役目は、その合意代案で明示しているとおり「中小企業が、労働時間の短縮により負わなければならない企業コストを相殺できるよう税制、金融支援策を講じること」である。
或いは、労働時間短縮基金や促進奨励金を造成して、中小企業と零細企業が加われるよう、負担を軽減してあげることだ。国家主導主義の正道がこのとおりだというのに、いかなる費用も払わずに、ただ政策施行の功績を認められたいとする態度では、解決策は見出せない。
原論的な話になるが、零細企業と貧困層の労働者に目を向ければ、意外と容易に妥結策が見出せるものと信じている。社会政策の恩恵を優先的に被るのは、常に大企業の企業主と労働者であったということを記憶してさえいればの話だが…。
宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大学教授(社会学)






