野党ハンナラ党の姿が苦しく見える。遅ればせながら与党民主党の真似をして、盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補の「盧風」に立ち向かう「逆風」を起こそうとしたものの、状況は思わしくない。大統領選公認候補の予備選挙が、序盤から興味を引きつけない。
野党ハンナラ党の予備選挙は、ひいき目に見れば、滞りなく進みそうだ。しかし、詳しくのぞいてみると、結局一人を祭り上げるための予備選挙ではないか、という疑惑だけをもたらす。予備選挙の候補の間からも、特定候補のための地域党委員長らの派閥づくりが、度が過ぎるのではないかという非難も出ている。予備選挙の初日を実施した仁川(インチョン)市では、公開監視投票が行なわれたという「険悪な言葉」を発する候補もいる。
その一方、予備選候補者はみな、歯をくいしばって闘うという意欲を見せていない。火花が飛び散る討論の場で「総裁様」「副総裁様」と言っていては、一体いかなる激論を繰り広げるというのだろうか。
心理的にすでに党内の序列上の上下関係が設定されているなら、いくら公正な予備選挙の場を設けても、一歩引いた競技になるしかなし。内部的に順位が決まった競技に、観衆が興味をもつだろうか。
ハンナラ党が作った予備選挙のルールを見ると、予備選挙に火がつくことは難しい。
候補者らは、党職員や党員との接触、地域支部への訪問ができないように制限されている。予備選挙の当日に大会場でパンフレットを配って、政見発表をするのがせいぜいだ。金銭選挙や動員選挙を防ぎ、きれいな予備選挙を行なうためだという。党は、李会昌(イ・フェチャン)前総裁の「大選必敗論」を取り上げることも自制するように注文をつけている。互いに声を荒立てては、結局党が傷
つくだけだということだ。
そうすることで、候補者らは遊説する所もなく、話せる言葉もなくなる。ソウルにいて、マスコミのインタビューで「上品な言葉」「紳士的な言葉」だけを口にする。ある候補の話のように「鳥かごの中の予備選挙」になってしまっているのだ。有権者の目から見ても、全く体をなしてない。
党内予備選挙はなぜするのか。
ある特定候補の体裁をよくするためのものなのか。
そんな目的なら、李会昌候補に80%近い票が集まった仁川予備選挙は成功したことになる。しかしその成功は、ハンナラ党内の李会昌候補の成功であるに過ぎない。党内で絶対的な支持を確保したからといって、それがすぐに有権者の支持につながるわけではない。
党内予備選挙の趣旨は、その党の大統領選候補に出馬する人物を事前に国民に示して検証を受けようというものだ。検証をする有権者が背を向ければ、予備選挙をしなければならない理由はどこにもない。民主党の予備選挙が、かなりの成果を収めているのは、有権者の関心を引く雰囲気が作られたためである。一方では左派や右派と理念論を持ち出し、もう一方で「陰謀論」や「左寄り論」と反ばくするものの、そのような論争は、決して消耗的であるというわけではない。候補者への検証も検証であるが、政治に対する関心を覚醒させてくれる。
ハンナラ党の予備選挙は、もともと民主党の予備選挙のように劇的な要素が不足していたのは事実だ。李会昌候補には、4年の間党の長として固めてきた組織があり、今のようなすう勢ならトップが代わる可能性は薄い。また、候補者間の論争の幅も民主党よりも狭い。大半が過去に与党で同じ釜の飯を食った仲であるため、政策論争をしてみても明らかな違いは目につかない。李会昌候補の功過を問うたところで、それは党内のことで党員にだけ関心があることだ。一般有権者には他人のことのように聞こえる。
ハンナラ党はどうすべきか。特定候補の大勢を既成事実化しておいて、他の候補者は引き立て役という予備選挙では、決して盛り上がらない。客がいない「場」は何の意味もない。党の大統領選公認候補は、李会昌候補ではない他の候補がなり得るという前提のもとで、し烈な検証競争ができる場でなければならない。生きるか死ぬかの接戦を求めているのではない。予備選挙らしい予備選挙を望むのである。そうなるように場を整えてこそ、有権者の関心を引くことができる。
「場」を整えることが急務なのだ。
李会昌候補側も考え直すべきだ。党内の既得権だけを固守しようとしてはいけない。李会昌候補は、これといった努力をしなくても、予備選挙で難なくトップに立てる。しかし、トップに立ってハンナラ党の大統領選候補になっても、本選で競争力がなければ意味がない。ハンナラ党内では「盧風」が決して長くないと見ているようだ。本当にそうだろうか。ハンナラ党は、今選択しなければならない道がどちらかを慎重に判断しなければならない。
ナム・チャンスン(論説委員)






