Go to contents

[オピニオン]腐敗権力には国を任せられない

[オピニオン]腐敗権力には国を任せられない

Posted March. 07, 2002 09:58,   

政治的病理現象のうち、一般の人々の憤激を最も刺激するのが腐敗疑惑である。大統領の親戚が関連した疑惑事件が、連日次から次へと明るみになり、政権のモラルが取り返しのつかない打撃を被っている。また、選挙を前に候補者らが必要であると予想される選挙資金の額と法とがあまりにもかけ離れており、誰が勝利を収めようと「きれいな政治、きれいな政府」とは認められないという声が早くも聞かれる。

不正腐敗がまん延すると、政治運営が非効率性を誘発して、政府への不信をもたらすうえ、公的資源が浪費され、企業意欲を低下させる。さらに、外国資本の導入を困難にすることはもとより、ついには政治不安をもたらすということが、常識的な考えだ。

ところがこのような現象への認識は、政治の外にいる人たちがよくする判断で、いざ政治の現場にいる人たちはこのようには考えない。急激な社会的、政治的変化を体験する所では、不正腐敗が社会をスムーズにする潤滑油の役割を果たし、また伝統と文化的違いを理由に、不正腐敗を普遍的な物差しで計ることは、合理的でないと考える。そして、道徳的かつ法的基準だけでは政治はできないと抗議したりもする。選挙をなくすならいざしらず、選挙をしなければならない以上、公正に選挙に臨むことは政治的自殺行為にほかならないという抗弁もある。

政治家のこのような認識には、一定の現実性があることを認めざるを得ない。今の韓国の政治文化で見るなら、政治資金に関する法ほど現実とかけ離れた法もないと思われる。そのような法を基準にすれば、政治家とは皆例外なく違法者であり、カネを受け取らないとか、カネを使わないと言う政治家ほど基準と反比例する偽善者と言わざるを得ない。

ところで問題は、例外が蓄積して正常に落ち着く場合である。例えば、腐敗を糾弾する一方で、選挙シーズンになると決まって手を差し出す有権者、そしてその手を受け取る政治家の姿は、すでに非正常が正常に承認されている証拠であると言える。このような現象が極度に深まると、政治体制が脅かされる。すなわち政治において不正腐敗が深まれば、それはすぐ社会的堕落へとつながるのだ。歴史的に多くの思想家が、まさにこの問題をめぐって体制の興亡を論じ、解決策を模索したことは周知のことである。

そのうちの有名な思想家の一人が、権謀術数論を説いたマキャベリであった。彼は、堕落で国が亡びることに対する処方として、英雄的指導者が現われなければならず、彼の徳性で道徳的素養を国民に注入しなければならないと主張した。これはもちろんユートピア的な方法と言えるが、少なくとも最高統治者とその周辺は公的利益の犠牲として、私的利益を得る不正腐敗によって誘発される社会的堕落を防がなければならない、という示唆は一理ある。

金大中(キム・デジュン)大統領も、候補の時にある放送で、きれいなカネは受け取ったが、うしろめたいカネは受け取ったことがないという趣旨の話をしたことがある。高い位にいる人で、そんな区分をするということ自体が、韓国政治の脈絡においておかしいことであるが、百歩譲って大統領になる前まではそういうこともあり得るとしても、現職にいる今「アジア太平洋財団(亜太財団)」や「愛の友人」という組織をなぜ維持しなければならないのか納得できない。このような状態であるために、親戚がゲートにかかわるといった事件も起きるのだ。昔、イギリスのウォルポール元首相は腐敗手段によって内閣制を定着させたが、韓国の場合、社会的堕落をあおる結果のみをもたらしたということが、これまでの歴史である。

過去は言うまでもなく、国民の民主的政治教養がまだ低い段階で、民主政治という枠に合わせて政治家が政治をするなら、不正資金がある程度必要だということは、正直に認める以外にない。しかしだからと言って、その程度と範囲は今からでも絞っていくという努力を惜しんではならない。「自ら堕落した帝王的権力者であるローマのカイザルのような人物に、国を任せることはできない」というマキャベリの主張は、韓国国民にとっても、苦しい選択を求める判断である。この点で、マスコミと市民団体の牽制の役割がこの上なく重要である。これらを通じて市民社会の体質が強化されなくては、権力腐敗が社会機能全体を屈折させる現象を防ぐことはできない。

盧在鳳(ノ・ジェボン)元首相