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[オピニオン] 免責特権の制限は国民を欺瞞行為

[オピニオン] 免責特権の制限は国民を欺瞞行為

Posted October. 24, 2001 09:09,   

韓国憲法第45条は、国会議員が国会で職務上行った発言と表決について、国会外で責任を問われないという国会議員の免責特権を規定している。

国会議員の免責特権は、王権や独裁権力から民意を代表する国会議員の発言を保護するために、およそ300年前に英国議会がウィリアム3世に提議し承認を受けた権利章典で、議会内の討論の自由を保障して以来、現在世界各国の憲法で明文化されている。立方、行政、司法の三権分立の原理の下で、国会が政府に対して持つ統制役割として、すなわちけん制と均衡の原則の実現に向けた歯止めの一種として、憲法によって与えられた特権だ。

したがって、国会議員の正当行為として認められるかぎり、もし他人の人格価値を侵害し、名誉を傷つけたとしても、同特権ゆえに刑法上名誉損害の罪に問われることはない。ただし、国会法第146条によって、他人を侮辱したり、他人の私生活に対する発言は禁じられており、これを侵した場合は、国会法第155条によって国会の議決で国会内で処罰することができるとしている。

過去、国会議員の免責特権に対する法解釈に対して公聴会が開かれたり、免責特権の範囲と限界に対する議論が幾たびか行われた。検察も免責特権の法理問題で頭を痛めたケースがあったものと見られる。政界の要求に押されて、捜査に着手したが、名誉損害の疑いで起訴された国会議員に対して免責特権を認めて、「公訴権なし」の処分を下したことがあった。

最高栽の判例は、1992年に「国会で発言する原稿を予め記者らに配った行為は、免責特権の対象となる」との判決が唯一の判例だ。同判例から見て、裁判所の態度は免責特権の範囲を比較的広く解釈していることがわかる。判決文に、「国会で行った職務上の発言と表決だけでなく、これに付随する一切の不可分と見られる付随行為まで含まれる」と具体的に明記している。

もちろんすべての権利と権限の行使には限界が内在している。あえて、ドイツの基本法のように免責特権の規定に但し書をつけなくても、国会議員は当然国民の代表として、良心にしたがって職務を遂行し、その地位や権限を乱用してはいけない。

だが、野党のスキャンダラスな暴露、デマ、名誉損害と見られる発言などの無責任な政治攻勢や、人格権侵害を防止しようと与党が憲法で保障している国会議員の免責特権の制限を取り上げるのは、時期やその発想のきっかけからして適切ではない。国会議員の望ましくない行為や常識を外れた行為が今に始まったわけでもなく、特定政党だけの問題でもない。何の前触れもなく突然、免責特権を制限しようとするのは、問題の本質を正しく認識していないということだけでなく、政治攻勢に対して正当な対応とは言えず、さらに憲法精神を損なうものである。

与党のそんな態度は、知恵浅く巧妙な法記述上の戦略と取られる恐れがある。まして政治中立がもっとも求められる検察庁長が国会議員の免責特権に内在している限界について言及したことは賢明な態度とは言い難い。

最近、再び再燃された国会議員の免責特権制限をめぐる議論は、問題の本末転倒もはなはだしいところだ。今のように政界に欺まんと権謀術数、不正と腐敗の情けないことばかりが蔓延っているかぎり、過去独裁政権の時にも維持されてきた免責特権さえ制限しようとすることは、またもや政界が国民を欺く行為だと指摘せざるを得ない。

政治上の問題は政治で解決するのが望ましく、国会内で特定議員の発言内容や水準などは国会法によって国会内でその責任と制裁を議論すべきだ。

人間ならだれしも心の中に秤を持っている。こんな人間の心理を利用した巧妙で洗練された政治技術とも言えるけん制と均衡の原理(principle of checks and

balances)は、国民主権主義が存在するかぎり永遠に存在するだろう。この権利を阻害するいかなる政治技術や法制度を考案したとしても、国民の支持を得ることは困難で、むしろ激しい抵抗を受けるだろうと思う。