か細いが新鮮な叫びだ。政治の現実の壁にぶち当たり、大きなこだまとなって響くことはないが、意味のある抗弁だ。与野の初選議員が中心の7人が18日発浮オた攻撃手拒否宣言で、我々は旧態依然の古い政治がゆっくりとした速度ではあるが、殻を脱ぎ捨てようとする動きを見ることができる。
たとえ今は、既成政治にどっぷりと浸かった先輩たちから、まるでお前たちだけが正義を愛するアウトサイダーだというような無責任な主張で国民の注目を引こうとしているという酷評も聞くだろうが、いつかは政治の世界に改革の芽を開き、花を咲かせるものと期待したい。
その低く、小さな響きが新鮮に見える理由は単純である。今の国会の膠着状態、与野の譲歩なき力のぶつかり合いの中に、与野それぞれの何か深奥な党略が隠されているのか知るすべもないが、国民たちの目には腹立たしい限りである。
だからこそ与野の比較的若い議員7人がそれぞれ自党指導部を批判し、国会正常化を求める姿からは何か清涼感さえ感じられる。過去の虫酸が走るような惰性の政治形態に対し、議事堂内からの拒否という点で注目されるのである。彼らは今回の総選挙で市民団体主導の淀んだ水に対する拒否と抵抗のもがきの中で生まれた議員たちだ。彼らがようやく議事堂内部からこのような古い風土改善、行動の一歩を踏み出した時代史的な意味を読み取ることができる。
彼らは声明で指導部は党利党略のためにだけ相手を攻撃するように強要するなと主張した。過去、攻撃手または狙撃手という名前の政治公害の主犯たちが議政を乱し、騒乱を引き起こしたことは数限りない。
党指導部の感情を和らげるために代行したり、自党に対する低質な応援をしろという指示に従い、さもなければ勝手にしろという式の迄Iと卑劣な攻撃で政治嫌悪をたきつけた恥知らずな初再選議員が少なくなかった。このような卑劣な扇動政治に対する拒否もまさに意味のある改革の一つだ。
国会が跛行に陥っている中で17日、制憲節(憲法記念日)記念行事に参加した議員たちはわずか50余人にすぎなかった。特に、国会副議長の金宗鎬(キム・ジョンホ)議員を含め自民連指導部はゴルフ場に行っていた。国政は与野の政治家同士の争いのために手痛いし、議政史の最大記念日を忘れてしまったとでも言うかのように、ゴルフ場で余暇を楽しむ議員たちがいくらでもいるこの時代、新人議員7人のか細い声はそれだけでも希望の芽ではないだろうか。みんなで注視しよう。






