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無限の宇宙と「人間の重み」

Posted March. 13, 2023 08:23,   

Updated March. 13, 2023 08:23

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「誰かがあなたと違う考えを主張したからといって、その人を殺したり、憎んだりしていいのだろうか。絶対にいけない。なぜなら、数千億個もある無数の銀河の中でも私たちと同じ人は見つからないからだ」(カール・セーガン『コスモス』)

「無人島に行くときに持って行きたい本は何か」と聞く人がいる。そのような人が最も多く受ける答えの一つがまさにこの本、米国の天文学者カール・セーガンの『コスモス』だろう。まず、無人島の退屈な時間をある程度カバーしてくれるほどの分量だ。レンガのような本だ。しかし、主な理由は、考えさせられることが多い本だからではないだろうか。

セーガンは1980年に放映されたTVドキュメンタリー「コスモス」で解説者を務め、世界的なスター学者になった。ドキュメンタリーの内容を盛り込んで出版した同名の本が『コスモス』だ。

この本を読み、単なる読書の経験を越えた神秘的な体験をした。本を読んでいる間、まるで宇宙を遊泳しているかのように少し浮いているような感じがしたのだ。最後の章をめくる瞬間には、遊泳を終えて、そっと地球に降りてきて、地面に軽く足を踏み入れる感じさえした。そうだ。この本はまさに「体験的作品」だ。

冒頭の文章は『コスモス』の核心メッセージだ。セーガンに従って宇宙を歩き回ると、この宇宙の大きさと「計画」に比べれば、人間は本当に取るに足らない存在であることに気づかされる。逆説的だが、もう一方で感じるのは「人間ほど特別な存在はない」ということだ。どちらに集中するかに関わらず、私たちがたどり着く結論はこれではないだろうか。地球上で喧嘩をすることは、すべてつまらないことであるということ。そして、私たちは皆、愛し合いながら生きるには足りない、極めて限られた時間と空間を生きているという事実だ。