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安保ラインのあの時あの人たち

Posted July. 31, 2020 08:28,   

Updated July. 31, 2020 08:28

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朴智元(パク・チウォン)国家情報院長に対する27日の国会人事聴聞会では、朴氏の北朝鮮に対する認識と政策の方向を示唆する言葉が飛び交った。野党「未来統合党」の朱豪英(チュ・ホヨン)院内代表は、裏合意書を公開する前、「国家情報院長の任務に南北関係の突破口を開く任務があるのか。国家情報院法のどの条項にあるのか」と質した。朴氏が、「大統領が私に過分な役目を任せられた思いには、冷え切った南北関係の突破口を開けという国民の熱望が反映されたと考える」と述べると、スパイも捕まえ、対北朝鮮偵察もしなければならない国家情報院長が対話にだけしがみついて良いのかという正当な追及だった。

 

同党の趙太庸(チョ・テヨン)議員が、「過去に北朝鮮への不法送金という方法で南北首脳会談を成功させた立役者というイメージが付いて回る」とし、朴氏は、「半世紀ぶりに南北対話を成功させた立役者とは、うれしく思う」と答えた。続く朱院内代表の質問で、「(金大中政府の)太陽政策に対して、北朝鮮は初めから私たちがバクテリアか、太陽の光でみな殺すという意味か、といった誤解があったが、6・15南北首脳会談後、このようなことは払拭され・・・」と話した。現代(ヒョンデ)グループの5億ドルで作った20年前の首脳会談の栄光を忘れることができないようだった。

南北対話の主務長官である李仁栄(イ・インヨン)統一部長官はさらに露骨に過去を呼び起こさせた。23日、聴聞会の冒頭発言で、「金大中(キム・デジュン)政府と盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が南北関係の発展と北朝鮮核問題の解決を結び付けずに並行させることで国際社会を説得し、北朝鮮の協力を引き出した経験に注目しなければならない。並行進展の出発点は、南北関係の修復だ」と強調した。長官指名直後、「平和に進む烏鵲橋(オジャクキョ)を作ることはできなくても、置石一つは着実に置く」とし、自身の北朝鮮に対する認識が、朴氏よりも古いことを示した。南と北を別れた男女に置き換えて無条件会わなければならないと歌った1980年代の民衆歌謡「織女へ」を詠ったのだ。

そう、彼らに良い時代があった。全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)軍部権威主義を打倒するために「行こう北へ、来い南へ」を叫んだ下からの統一運動が大衆の支持を得た時代があった。非民主的国家に抵抗を結集する政治的道具として民族談論が通用したのだ。神格化された北朝鮮独裁者個人の認識を変え、南北対決の構造を変えるという金大中式太陽政策は、それを逆利用して「苦難の行軍」経済難から抜け出すという金正日(キム・ジョンイル)総書記の利害関係と合致した。経済的利益を狙った現代グループの鄭周永(チョン・ジュヨン)名誉会長が金を出し、政治的利益は南北の最高指導者が得る偽りの平和が本物のように見えた時代があった。

しかし如何せん、過ぎ去った時代だ。1980年代、街頭で韓国の大学生が叫んだ「民族」が純粋な民族主義の発露だったとしても、労働党の統一戦線部を通じて執拗に介入した北朝鮮の思惑はただ「金日成(キム・イルソン)民族国家」の永続と拡張だったことはもはや皆が知っている。金大中、盧武鉉政府の南北対話は、太陽政策が受け入れられたのではなく、韓国と相対しても、内部の動揺を心配する必要がないほど権力を掌握していると確信した晩年の金総書記が相手だったので可能だった「例外的な時代」だった。

特に、盧武鉉政権が終わった2008年から米中覇権競争が始まり、核保有国の地位を目指した北朝鮮は、もはや米国と競争する強大国のように振る舞っている。核を持つ3代世襲独裁者、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は、核のない弱小国韓国をこれ以上民族協力のパートナー、経済支援の恩人とは考えないだろう。独裁者が側近に対するように服従だけを強調している。まだ良き過去を忘れられないようだが、北朝鮮はもはや以前と同じではない。


申錫昊 kyle@donga.com