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長寿企業の秘訣

Posted October. 11, 2004 23:11,   

三星(サムスン)経済研究所の金成杓(キム・ソンピョ)首席研究員は、「労使がお互いを信頼し、核心力量を中心に絶えず変身しつつ、しっかりした財務構造を維持する企業だけが長寿できる」と分析した。

▲「進化」する企業〓1954年設立して、「正装靴」一本を歩いてきたクムガン製靴は1973年、韓国で初めてカジュアル靴「ランドローバー」を発表し、旋風を巻き起こした。また、1994年には、足が大きすぎるとか小さすぎるとかで、靴の購入に悩む消費者のためのオーダーメード売場もスタートした。

このように長寿企業は新しいアイディアに寛大だ。無理のない範囲で、核心力量を極大化できる方向へと、絶えず進化している。

第一(チェイル)毛織が生き残った秘訣も同じだ。同社は、「10年ごとに変わる」というモットーの下で、織物−衣類−化学−電子材料企業へと変身に変身を繰り返えしてきた。

最高経営者の「決断」も欠かせない。1954年設立された生活用品専門業者の愛敬(エギョン)グループの張英信(チャン・ヨンシン)会長は、会社が大変難しかった01年に、「総合技術院(総研)」を設立した。張会長は当時、「今後50年は、厨房洗剤『トリオ』の代わりに、総研が我が社を扶養してくれることになるだろう」と言って、内部の反発をなだめた。

▲チャンスは準備の整った者に〓1943年設立した韓国陶磁器は手形を発行せず、現金決済だけをする会社で有名だ。

しかし、同社も設立後約30年間は借り入れ経営に依存した。一時は、全体売り上げ高のうち40%を利子にまわした。

1973年、借り入れ経営の長いトンネルから脱した韓国陶磁器は、その後、しっかりした財務構造を基盤に、米ニューヨークとロサンゼルスに支社を設立するなど、世界的な陶磁器会社に跳躍することができた。

▲お互いに思いやりのある労使〓1933年設立のハイト・ビール(旧朝鮮ビール)は1992年5月、創立60周年を1年後に控えて、当時30%を維持していたマーケットーシェアが、競争社のOBビールに押されて20%台まで落ちる危機に直面した。

会社は構造調整をする代わりに、最後まで職員たちを信じた。結局、職員たちで構成された「新製品タスクフォース」は1年後、天然岩盤数で作ったハイトビールを市場に送り出し、大ヒットを得た。



鞖克仁 bae2150@donga.com