「私の言葉は私の言葉ではなく、私の笑いは私の笑いではない。」ゴースト・ライターを素材にしたイ・チョンジュンの1978年の作品「自敍伝を書こう」という小説の始まりの文句だ。主人公は結局、人気コメディアンの自敍伝の代筆を中断し、依頼人に「過去がいくらみすぼらしく恥ずかしくとも、正直に認める正直さと懺悔する勇気、自分をものとして愛する愛情がなければ、自敍伝を出すことはあきらめなさい」という内容の手紙を送る。しかし25年が過ぎた今も、あきらめられない有名人が多いようだ。少し名前が売れれば、誰でもかれでもゴースト・ライターの手を借りて自伝的なエッセイを出し、ゴースト・ライター専門出版社まで登場するほどだ。ヒラリー自敍伝もゴースト・ライターが書いたというから、自分たちだけを咎めることもない。
◆このような代筆だけがあるのではない。文盲が多かった時代、軍キャンプでは兵士の手紙の代筆が盛んだった。他人が代筆した手紙でも、入隊した息子からの安否の手紙は、故郷の親を涙させた。ひとすじの恋を約束した恋人からのラブレターは、娘の胸を躍らせた。その時代には、役所周辺に代書所が多かった。そこは、弁護士事務所を訪れることもできない貧しく力のない庶民の総合民願所だった。老眼鏡をかけた代書所のおじさんの達筆は、字の下手な人々を感嘆させた。
◆代筆論争が、韓国社会を二分したこともあった。1991年5月に西江(ソガン)大学で焼身自殺したある在野団体幹部の遺書のためだ。その遺書が、故人が作成したものではないという疑惑がもち上がり、「闇の背後勢力」論議で全国が沸き立った。政権退陣を要求する大学生、労働者、主婦の焼身自殺が11件も続き、ある詩人が「死の祭壇を取っ払え」と叫んだ悲惨な時代だった。検察は、大々的な捜査の末、故人の友人を遺書代筆の容疑で拘束した。彼は最高裁判所で自殺幇助罪で有罪確定判決を受けたが、今でも代筆の事実を否認している。
◆総選挙が遠くないため、政治家の広報用書籍の出刊ラッシュが予想される。とにかく忙しい身なので、当然代筆に頼るだろう。代わりに読む代読もある政界だから、代わりに書く代筆は大したことではないのかもしれない。政界だけではない。この頃は、大学入試志願のための自己紹介書や学位論文まで代筆で作成して提出する人がいるという。韓国社会を「代筆社会」と言っても過言ではなさそうだ。だからといって書芸大展まで代筆というのはひどすぎる。芸術まで誤魔化しがまかり通っては、信じられるものがない。
林采正(イム・チェジョン)論説委員 cclim@donga.com