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[社説]毅然として自由言論の道を歩む

Posted March. 31, 2003 22:20,   

かつてないほど言葉の氾濫する時代だが、マスコミはむしろ危機に瀕している。各種媒体を通じて精練されない意見や主張が氾濫し「言乱」まで憂慮される状況だ。視点と考え方が違えば、媒体間でも敵対感を表すほどなので、多元主義が息をする空間は窮屈にならざるをえない。東亜(トンア)日報が創刊第83周年を迎えた今日、例になく混沌状態に陥っているマスコミの現住所がそうだ。

社会的議題設定および公論化機能の弱化と混乱は、マスコミが自ら招いた側面もあることは否定できない。韓国近代マスコミの黎明期(れいめいき)からマスコミ文化を善導して来た正論紙として東亜日報の責任も極めて重いことを痛感する。内外のマスコミ環境が急変している今、マスコミの進むべき道を改めて振り返って見なければならない。

民主主義・民族主義・文化主義の道を提示した東亜日報の創刊は、暗黒の植民地時代に上がった烽火だったとも言える。その後、残酷な風霜にもかかわらず民族の未来を切り開いて来た東亜日報の歴史は、他ならぬ改革と進歩の歴史だった。また、韓国社会が一方へ偏ったりあまりにも急激に進もうとしたりすると、進路を正したり速度を調節したりもし、安定と保守の歴史でもあった。その基準となるのは、いつも国家と民族の安寧と繁栄だった。

脱イデオロギー時代の保守−革新は、対立する概念ではなく補完的な概念だと思う。これ以上、理念の違いが、敵と同志を分けお互いを憎み傷つける動機になってはならない。民族エネルギーの結集と国家の進運を阻害するだけだ。ただ、譲れない価値がある。それは憲法の根本理念である自由民主的基本秩序だ。我々が極左も極右も排撃する理由だ。

創刊の辞で明らかにしたとおり「民衆の熱望と時代の動力」として誕生した東亜日報は、常に開かれている。このように過去83年間、創刊の精神を失わずに来たゆえに、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の国政が成功するよう願っているのだ。政権がまたも失敗し、そのために国民が苦しむのを望んでいないからだ。国内外の情勢が不安な時期に発足した新しい政府が軟着陸するように我々が傾けた努力を歴史は評価すると信じる。

それなのに盧大統領が「一部のマスコミの妬みと迫害」を取り上げたことに戸惑いを覚えざるを得ない。混乱していて暗かった時代にどのマスコミよりも妬みと迫害を多く受けて来た東亜日報は、誰をも妬んだり迫害したりしない。もしも、権力の脱線と失政に対する監視や疑惑と不正に対する批判をそのように受け止めたとすれば、非常に残念なことだ。

これに対して権力は「それならばマスコミには間違いがないのか」と問い返してくるかも知れない。もちろんないわけではない。しかし、民主的意思決定のための原資料を提供するマスコミと国家の命運を牛耳る国事を決め、執行する権力とは違う。また、質問をするのは、権力側ではなくマスコミの仕事だ。それにマスコミは日々読者たちから審判を受けている。

我々は依然として、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)が言ったように、印刷した文で自由に表現することができる権利をあらゆる自由の中で最も神聖な権利の一つだと確信する。言論の自由は、保守−革新の基準で裁断できる性質のものではない。我々は彼とともに、読者たちのマスコミに対する否定的な視覚も謙虚に受け入れて、もう一度姿勢を整えようと思う。

まず第一に、視線は国民に向ける。権力の視線が国民に向かう時には権力を助けるが、そうでない時には権力を叱咤する。第二に、権力に対する牽制はマスコミの権利であると同時に義務であることを忘れず、「ほめ言葉」は控えめにし「苦言」を呈する。第三に、権力の専横や堕落に対する正当な怒りは抑制しない。特に、表現の自由に対する信念は決してあきらめない。

また、我々が自ら正々堂々となれるよう、我々の言動にも十分気を使う。まず我々の中の偏見をなくす。危機に直面するたびにそれを乗り越え生まれ変わってきた東亜日報は、読者たちがまっすぐ世の中を眺める透明な窓にならなければならないことを、改めて肝に銘じる。