19世紀はさまざまな文芸思潮が起こった時期だった。『オルナンの埋葬』で有名なフランスの写実主義の画家、クールベは「天使を見たことがあるか。あなたのお父さんを見て書くように」と教えた。天使という空想の存在を創造するのは、物事を客観的に見る態度ではないというのである。一方、ロマン主義は当時の古典主義を批判しつつ、人間性の真実を追求した。その結果、自我の確認や個人の創造的可能性が強調された。よく言われる「心の功徳」がそれである。19世紀には絶対的な真理や道徳、価値が存在しないという虚無主義もあった。こうした思想はドストイエフスキーを経て、20世紀初頭、急速に広まっていった。
◆こうしたロマン、現実そして虚無は、他人と対話をしているうちに少しずつ面白く変わっていく。この世に生まれて一人の人間として自分の役割を果したいというなら、写実主義者にならねばならない。目の前の現実を冷静に解決しなければならないからだ。しかし、この社会で「より大きくて美しい」ものを実現したいのなら、ロマン主義者にならないといけない。想像的創造力で物事を違う角度から見たり、現在の問題点を逆に見る目もないといけないからだ。それも、写実主義者を経てロマン主義者にならねばならない。そうでないと、単なる妄想家になってしまうからだ。こうした意味から、心の功徳を積む必要がある。虚無主義者は心の功徳を積んでいないため、現実から逃れようとする。心が狭すぎて、とても現実に耐えられないからだ。そのため、「なるようになれ」という言葉をよく使う。
◆昨年10月、米大リーグでは、サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズが73本の本塁打を放ち、シーズン最多本塁打を記録した。ところが、その第73号ホームランボールをめぐり、自分のものであると主張する二人の観客の間で裁判が起こった。外野席に飛び込んだボールを、アレックス・ポポフという人が持参したミットに収めたが、大勢の観客ともみ合っているうちにポポフさんのミットからボールが転がり落ち、パトリック・ハヤシという別の観客が手にしたのだ。一つの物に対する所有権は「現実的に」一人でなければならない。
◆しかし、サンフランシスコ最高裁判所のマッカーシー判事は、共同所有としながらも、事実上、個別所有権を認める異例の判決を下した。「ホームランボールを売って二人で分けるように」。こうした判断を下したマッカーシー判事は、どうやらロマン主義者のようだ。物事を違った角度から見る創造力があるからだ。それなら、虚無主義者は? ほとんどはこう言うだろう。「そのホームランボール、朴賛浩(パク・チャンホ)が投げたのじゃないのか。それなら、判断を保留する」
金基洪(キム・ギホン)客員論説委員(産業研究院研究委員)gkim@kiet.re.kr