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[沈揆先コラム]産経前ソウル支局長の起訴は敗着だ

[沈揆先コラム]産経前ソウル支局長の起訴は敗着だ

Posted October. 14, 2014 08:41,   

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検察が、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長を在宅起訴した。朴槿恵(パク・クンヘ)大統領の名誉を傷つけた容疑だ。単刀直入に言って、加藤氏を起訴したことは敗着だと考える。正確に言えば、起訴の過程が敗着だ。

理由を説明する前に、確かめておくべきことがある。まず、産経新聞と加藤氏が韓国の大統領を誹謗中傷する意図が全くなかったという主張だ。同意できない。法の判断とは別に、加藤氏の記事は明らかに独身である女性大統領を卑下した。度を越える嫌韓、反韓がトレードマークの産経の体質の延長線上にある記事だ。

産経新聞は、韓国で言論の自由が脅かされていると言った。やはり同意できない。加藤氏が起訴されたからといって韓国の言論環境が変わることはない。韓国の言論は、日本の言論よりも自由で強く(時には度を超えたと言われるほど)権力と権力者を批判してきた。これからもそうするだろう。

にもかかわらずなぜ起訴が敗着なのか。

実益がない。検察は、加藤氏を出国禁止にし、3度も事情聴取した。加藤氏の記事は、骨組みが崩れた。大統領は「疑惑の7時間」、大統領府の建物内にいたことが確認された。この事実はすぐに報道された。大統領の名誉は回復されたと見なければならない。一罰百戒で再発を防止するということか?大統領と外信の対立が捜査にまで広がることは、数十年に1度あるかどうかだ。今回のことは、起訴の事実だけが残り、教訓はないだろう。

失うものがないなら起訴を拒む理由はない。しかし、失ったものが多い。加藤氏は10日付の産経新聞1面に手記を載せた。謝罪は一行もなかった。加藤氏は、「朴政権の最大の問題である『言論の自由への狭量さ』を身をもって示すことができる」とし、今の心がソウルのさわやかな秋晴れとようだと書いた。迫害を受ける英雄になった。大統領が一人の日本人記者を引き立て、自身は小さくなった。

外国のメディアにも好材料を与えた。外信に加藤氏の記事の内容は重要ではない。起訴だけが問題だ。有力な外信がこぞって批判した。韓国は突然、言論を弾圧する国になった。事実が報道されるのではなく、報道されることが事実だ。

ここらで反論が出てきそうだ。他国の言論だからといって例外を置かなければならないのか、国家の自尊心がかかった問題なのに、そのままやり過ごせというのか。この点も確かめておく必要がある。産経新聞を特別扱いしろと言うことではない。加藤氏の記事が問題ないと言った人もいない。争点は、罪の有無ではなく起訴が適切かどうかの問題だ。不起訴にしたからといって記事に免罪符を与えるわけではなく、起訴したからといって裁判所が容疑を認めたと断定することもできない。

起訴過程に異議があるといったのはそのためだ。起訴の得失を冷静に見る過程があったのかということだ。大統領府、外交部、検察などが起訴の有無を熟考すべきだった。参謀が真剣に得失を秤にかけて起訴を決めたのなら、私と考えが違っても評価する。しかし、そのような形跡がない。結果の敗着よりも過程の敗着が残念だ。

気になるのは、大統領の心中だ。この事件を批判的、大々的に報じた産経や読売の記事は、ただ見過ごすこともできる。しかし、大統領の怒りが起訴に影響を与えたという記事は、皮肉のように聞こえる。名誉毀損事件は被害者の意志が重要だ。しかし、大統領と外国記者が関連した事件を処理し、得失を分析する過程がなかったなら、職務遺棄だ。私が会った高官や知識人の中に、起訴に反対した人が多い。私も、事情聴取はしっかりしたので、起訴猶予で大統領の寛容を示し、加藤氏と産経新聞に借りを作らせるべきだったと考える。それが国益にも合致する。

最近、日本の報道機関のソウル特派員の間で不満がある。大統領府が電話をかけてきて、非友好的な記事に抗議するというのだ。私が東京特派員の時、小泉純一郎首相を何度も批判したが、首相室から抗議の電話を受けたことはない。外信に対する抗議は、権力の中の権力である大統領府がすべきことではない。外交部が適切に説明すればいい。それが言論界の国際的な常識だ。今回のように、大統領の怒りと真の国益が衝突した時、どのように大統領を説得するかが大統領府が考えるべきことだ。たとえ失敗に終わったとしても。