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遺棄動物の保護所

Posted June. 03, 2023 08:31,   

Updated June. 03, 2023 08:31

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多くの本を一人で運んだことがあった。リュックに入れて背負い、荷車にもいっぱい積んで運んだ。自分の荷物を一人で背負うのは当然のことだった。段差のある所で唸り、階段で立ち止まっても、助けは望まなかった。そのとき、ある宅配便配達員が遠くから走ってきて、荷車を一緒に押してくれた。この重いものを一人で運ぶのか、どこまで運ぶのかと尋ねた。力を貸してくれたこともありがたかったが、実はその質問がありがたく、ずっと忘れられなかった。毎日荷物を運んでいた彼は、荷物を運ぶことの難しさをよく知っていたのだ。苦労を経験した人だけが他人の苦労を理解できる。苦しみや絶望、痛みや悲しみといったものは大きくて深く、想像などでは到底及ばない。

世の中には、目に見えない重荷を背負っている人がたくさんいる。時には、見えないその重荷を他人に見抜かれることもある。逆に、私たちが他人の重荷に気づくこともある。荷物が荷物に気づくとき、それは互いに寄り添い、苦しみを分かち合う。荷物の総量が減るはずがないのに、私たちの足取りは少し軽くなる。それを詩人キム・ミョンギは「悲しみが悲しみを認識する」と書いた。「悲しみは皆で悲しんでこそ耐えられる」とも書いた。この言葉は本心であり真実だ。悲しみには悲しみが、痛みには痛みが友であり、隣人であり、憩いの場となる。