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哀願する女

Posted May. 03, 2023 08:26,   

Updated May. 03, 2023 08:26

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どう見ても悲しい作品がある。カミーユ・クローデルが国の依頼を受けて製作したという青銅像「成熟」は、構図から哀れだ。若い女性はひざまずいて、年老いた男性に向かって両手を伸ばして何かを哀願し、その男性は彼女から目をそむけて年老いた女性に誘われて別の方向に進んでいる。

タイトルに忠実に解釈すれば、「成熟」は若さから老年と死につながる、誰も避けられない悲しい運命を形象化したものと見ることができ、そう話す批評家もいる。しかし、作家が若い女性の姿を分離し、以後別の青銅像と石膏像にして「哀願」というタイトルを付けたという事実を考慮すれば、必ずしもそのように見ることもできない。

彼女が亡くなった後、弟の詩人ポール・クローデルは、涙なしには「成熟」と「哀願」を見ることはできないと話した。彼は、彫刻の中の若い女性は姉だとし、「傲慢で堂々としていた彼女が、侮辱されひざまずいたまま哀願する姿で自身を表現」したことがとても胸が痛いと話した。24歳も年上のロダンとの関係、天才的な芸術家だったのに花を咲かせることができず、精神疾患者収容所で最後の30年を生きた人生が思い浮かんだからだ。彼女を閉じ込めたのは家族だった。医者が家に連れて行くように勧めても、母は拒否した。それで「成熟」と「哀願」は、30代に製作されたものだが、彼女が生きてきて、生きていかなければならない苦しい人生を例示した作品だった。それは彼女が直面している心理的現実の反映だった。

彼女は、女性だという理由で国立美術学校への入学を拒否され、当代の大物だったロダンには利用されただけだった。ロダンの名の青銅製胸像の多くは、彼女の作品だった。世の中が彼女の天才性を知ったのは、彼女が死んでから数十年後だった。ひざまずいて哀願する女性の青銅像が、特に悲しい理由だ。押さえつけられて排斥されるこの世の中の弱者たちは、皆そのような姿かも知れない。クローデルは、思わず彼らを再現したことになる。芸術は、そのように自分を越える。