Go to contents

「移民」をめぐり2つに分断された米国

Posted June. 16, 2025 10:07,   

Updated June. 16, 2025 10:07


外出時によく乗る地下鉄に、ある母親がいる。小柄な中南米出身のその女性は、朝から晩まで地下鉄を乗り降りしながら「チョコラーテ(チョコレートのスペイン語の発音)」と叫んでいる。彼女が持っている紙箱の中にはガムやチョコレート、ゼリーなどが入っている。そしていつもその箱よりずっと大きな1歳前後の赤ちゃんを背負っている。大変そうに見えるが、その母親が赤ちゃんをどこかに置いている姿を一度も見たことがない。母親の荷を少しでも軽くしてあげようとチョコレートを求めると、その母親は明るく笑顔で「2ドル」と答える。

だが、皆が彼女を気の毒に思っているわけではない。あるとき、きちんとした服装の中年の白人女性がその母親をずっと鋭い目つきでにらみつけていた。母親がチョコレートを勧めようとその女性の席に近づくと、その女性は冷たい表情で「うせろ」と言った。当時のニューヨークでは、南米から来たある不法移民が地下鉄で寝ていた女性に火をつけた事件で騒然としていた。不法移民たちが路上に椅子を置いて散髪をするなど理解しがたい行動をとり、「ニューヨークが第三世界になってしまった」という批判も出ていた時期だ。中年の白人女性の発言が、「地下鉄から出ていけ」という意味なのか、それとも「この国から出ていけ」という意味なのかはわからなかった。

いま不法移民、ひいては移民を見つめる米国の視線は、大きく2つに分かれている。まず目に入るのは、多くのデモで聞こえる「彼らを守ろう」という声だ。擁護する側は「米国は元々移民によって成り立った国であり、この地でネイティブ・アメリカンのような容姿でなければ皆が移民だ」と人類愛を強調する。たとえ不法に米国に来たとしても、彼らが「きつく、汚く、危険」、いわゆる「3K」に多く従事し、米国社会を回してくれていることを忘れてはならないと言う。こうした博愛主義的な声は、デモとして目に見える形で現れ、いわゆる「ポリティカル・コレクトネス(PC)」にも合致するため、メディアに多く露出する傾向がある。

しかし、目に見えるものが今の米国社会のすべてだと考えるのは見当違いだ。その反対側には、静かだが強烈に移民を嫌悪し、憎む視線がある。彼らは「不法は不法だ」と言い、「自国にこっそり入ってきた移民が税金を食いつぶし、犯罪を起こしている」と主張する。このような声は、反対側のようにデモとして目立つ形では現れないが、匿名の世論調査でははっきり表れる。これまでのほぼすべての調査で、米国人の半数以上が不法移民に対して一貫して反感を表明している。最近議論になったロサンゼルスでの移民取り締まりの過程で、トランプ政権があらゆる批判にもかかわらず、令状なしに、急襲方式で、さらには軍隊まで動員して積極的な逮捕と収容に乗り出せたのは、このような世論の後押しがあったからだ。

「法よりも人間が先だ」という移民擁護派の立場にも、「いくらなんでも法は守るべきだ」という批判者の指摘にも、それぞれ一理あるため、不法移民の追放問題はどの問題よりも難しい米国の難題となっている。

米国の移民論争が地球の反対側の他人事に思えないのには、もう一つ理由がある。最悪の少子化状況を経験している韓国も、近い将来、移民受け入れという問題に正面から向き合う可能性が高いからだ。

専門家たちは口をそろえて、韓国の進む道は「消滅国家」か「移民社会の構築」かの2つしかないと言う。すでに多くの面で2つの国に分かれてしまっている韓国が、これ以上分断されないためには、国益と社会統合に資する精緻で合理的な移民政策を講じなければならないだろう。