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「海が育てた宝物」アワビの中に隠された苦痛

「海が育てた宝物」アワビの中に隠された苦痛

Posted April. 23, 2025 08:35,   

Updated April. 23, 2025 08:35


最近、ネットフリックスのシリーズ「おつかれさま」で、9才のエスンが書いた詩「ケジョムボク」(アワビ)が話題となっている。「長い間いつも、ジョムボク、ジョムボク/台風が来てもジョムボク、ジョムボク/娘よりもジョムボク、ジョムボク…」。私のオマン(母を表す済州方言)の心を焦がすあのケジョムボク野郎/ジョムボクを売って稼ぐ百ファン/私が与えてオマンを一日を買いたいな…」。母親の疲れた人生をケジョムボクを通じて描いた詩だ。アワビは海が与える宝物だが、息づかいに込められた苦しみを象徴することもある。

朝鮮時代、済州(チェジュ)の人々にとって、アワビを取って朝廷に捧げることは苦痛だった。アワビの採取は、生計のための労働を越えて命をかけることだった。済州牧師だった李礼延(イ・イェヨン)と奇虔(ギゴン)は、アワビを取る海女の哀れな姿を見て、どうしてもアワビを食べることができないと言った。「アワビを取る手間を考えると、どうしてアワビを食べる気がするのか」という正祖(チョンジョ)の言葉も、弘斎全書に記録されている。

アワビを取る水仕事は大変だったし、アワビを貢納することはつらかった。済州牧使の李衡祥(イ・ヒョンサン)が「潜女(海女)は1年中、わかめとアワビを用意して捧げなければならないので、その苦役が牧者の10倍にもなります。死を覚悟して逃げようとするのは当然のことだ」という上訴文を王にささげたほどだ。老衰したり病弱な海女は、他の海女からアワビを買って捧げたというから、アワビの貢納は暴圧的な足かせだった。

済州道で供納された干しアワビは、王の下賜品、宴会料理などに利用され、忠清(チュンチョン)、全羅(チョンラ)、慶尚(キョンサン)、江原(カンウォン)などでは生アワビと干しアワビを捧げた。世宗(セジョン)が目の病気でひどく病んで横になると、息子の文宗(ムンジョン)が水刺床(王の食膳)のアワビを細かく切って差し上げた、と朝鮮王朝実録に記録されている。閨閤叢書によると、孝宗(ヒョジョン)が蔚山(ウルサン)アワビを急いで送れと王の命令を下すと、宋時烈(ソン・シヨル)が食い意地を減らすことを助言したという。アワビは、王室で重要に使われた貢物だったため、徹底的に管理した。明宗(ミョンジョン)の時、宮廷料理に関する仕事を担当していた司饔院でアワビを盗まれ、兵士たちが刑罰を受けたことがある。

朝鮮時代のアワビを捕る男の浦作人と海女をテーマに講演し、アワビ採取の疲れについて説明したことがある。一人の聴衆が質問した。「テレビの芸能番組を見れば、出演する芸能人たちはアワビを簡単に取ったが、あれほど大変なことなのかよく分からない」という趣旨の質問だった。

二つの可能性を念頭において答えた。まず、1970年に水産振興院で初めてアワビの卵の人工孵化に成功し、アワビの稚貝を生産できるようになった。以後、南海(ナムへ)と東海(トンへ)を中心にアワビの稚貝放流事業を着実に行っている。その結果、朝鮮時代より個体数が増加し、アワビの採取が容易になった可能性があるという点を挙げた。

2度目の可能性にもう少し重きを置いた。いつかテレビを見ていると、ある芸能人が海辺の潮溜りから手のひらほどの大きさのアワビ7、8匹を取り出した。首をかしげざるを得ないシーンだった。アワビは主に水深5メートルの下で生息する。たまに水深が浅いところで発見されることもあるが、潮の水たまりに粒の大きいアワビが大量に生息するのは、よくあることではない。また、画面に映ったアワビの殻の外形を見ると、天然のアワビのようには見えなかった。面白さのために、人為的な環境を造成することができたのだ。ここ数年、アワビの価格が相当下がったが、アワビの歴史に数多くの人々の涙がにじんでいるのは事実だ。