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ラマダン初日、イスラエルとイスラム教徒が「東エルサレムの聖地」で衝突

ラマダン初日、イスラエルとイスラム教徒が「東エルサレムの聖地」で衝突

Posted March. 12, 2024 08:53,   

Updated March. 12, 2024 08:53

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イスラム教の断食月「ラマダン」が始まった10日、東エルサレム内のユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地「アルアクサ」でイスラエル警察とイスラム教徒が衝突した。特に、イスラエルと戦闘中のパレスチナ武装組織ハマスがイスラム教徒のアルアクサ集結を呼びかけた状況で、同日、イスラエル警察が鎮圧過程で警棒を振り回したことで、大規模な流血事態に発展する可能性も排除できない。今回の事件が中東戦闘の拡大の起爆剤になる可能性があるとの懸念も出ている。

イスラエルメディア「タイムズ・オブ・イスラエル」などによると、同日、イスラム教徒数十人がラマダンの初日の夜の礼拝のためにアルアクサ・モスク内に入る際、イスラエル警察が警棒を振り回して彼らを鎮圧した。

現地のソーシャルメディアには、警察が警棒を振り回す動画が続々とアップされている。警察10数人が路地で警棒を振り回すと、集まっていたイスラム教徒が反対方向に素早く逃げたり、一部は警棒で殴られながらも警察に抗議したりする様子が映し出されている。

約14万平方メートルの広さのアルアクサには、「黄金のドーム」で有名なイスラム寺院のほか、キリスト教の教会などもある。アルアクサがある東エルサレムは、1967年の第3次中東戦争までヨルダン領だった。戦争でこの地を占領したイスラエルは当時、アラブ圏と「ユダヤ教徒のアルアクサへの訪問は認めるが、祈りや礼拝は禁止する」ことで合意した。

しかし、イスラエルはパレスチナと衝突するたびにここの弾圧を強化し、物議を醸した。特に、極右のイタマル・ベングビール国家治安相は、昨年だけでも3回ここを訪れ、「アルアクサの主人は私たちだ」と主張し、アラブ圏全体の怒りを買った。このようなベングビール氏の行動が、同年10月、ハマスがイスラエルを奇襲攻撃した主な原因になったという見方もある。ハマスが当時、奇襲攻撃の作戦名を「アルアクサの洪水」と名付けたのもこのためだ。

ハマスは9日の声明を通じ、「パレスチナ内外のすべての戦線でイスラエルと対決する」とし、イスラム教徒のアルアクサ集結を促した。このため、ラマダンを迎えて信仰心が高揚した一部の強硬派イスラム教徒がイスラエル警察と再び衝突する可能性も排除できない。

イスラエルのネタニヤフ首相も同日、米政治メディア「ポリティコ」のインタビューで、米国の強い反対にもかかわらず、ガザ地区最南端のラファで地上戦を強行する考えを明らかにした。ネタニヤフ氏は、「私たちはそこ(ラファ)に行って離れない」と強調した。ラファ攻撃を一種の「レッドライン」とみなしているバイデン米政権に対しては、「何を言おうとしたのか分からない」と述べ、米国の警告に耳を傾けない考えを示した。


カイロ=キム・ギユン特派員 pep@donga.com