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梅の礼賛

Posted January. 13, 2023 08:30,   

Updated January. 13, 2023 08:30

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梅に対する詩人の賛辞が静かに続く。わざと誇張することも、目立った特徴を誇示することもなく、静かに梅の美徳を見せてくれる。春が来る前に、一人で寒さを乗り越えて毅然と花を咲かせるのは、近づけない自分ならではの根気のためだろう。世界中に雪がいっぱい降ったように白い天地にかすかに広がる独特の香り、あ、梅だったんだ。その時になってようやく目につくほど、その開花は実に謙虚だ。その花、その香りが田舎の竹の枝の上に次々と咲く。自慢しない、ただ軽い孤節を抱いているからこそ可能なことだ。それだけではない。貧富の貴賤を区分しないあの寛大な心は、雪中君子の孤高な気品として読まなければならない。

梅を歌った漢詩では、雪と香りの喩えがよく使われる。盧梅坡が、「白いのは梅が雪より少し劣っており、香りならどうしても雪が梅に勝てない」とか(「雪と梅」)、王安石が「遠くからでも梅が雪ではないことが分かるのは、ほのかに伝わる香りのためだ」(「梅」)と言ったことなどがその例だ。しかし、詩人は梅の様々な美徳の中で、その公平無私な開花モチーフに目をつけたのだから、独特の発想に違いない。「昭君恨」は、宋詞の曲調名で、内容とは関係ない。