1956年11月5日午前8時、英国軍とフランス軍の空挺大隊が、スエズ運河の入口に位置する港町ポートサイド周辺の拠点に落下した。英国軍は、運河の西側にあるガミル空港を占領し、フランス軍は南側の運河進入路にある橋を占領した。翌日の6日、英海兵機動部隊がポートサイドに上陸し、都市を占領した。
英国とフランス軍の目的は、エジプトのナ-セル大統領が国有化を宣言したスエズ運河を奪還することだった。まず運河を武力で占拠した後、英国軍とフランス軍はスエズを保護する国連軍に変わる予定だった。ナ-セルは戸惑った。彼は、第2次世界大戦でグロッキー状態になっている英国とフランスが、エジプトまで遠征軍を派遣する余力はないと予測していた。英国とフランスは予想を破ったものの、連合軍は少数だった。「10万」とされるエジプト軍が全力を尽くして攻撃すれば、連合軍が持ちこたえることは難しかった。
しかし、イスラエルがスエズに押し寄せていた。イスラエル軍は電撃的に戦争を開始し、シナイ半島を簡単に占領し、スエズの東海岸に到達した。イスラエルのため、エジプト軍はシナイで大きな損失を被り、残りの兵力をポートサイドにある連合軍に集中することもできなかった。スエズ国有化が失敗すれば、ナ-セルの人気は墜落し、失脚する可能性もあった。
絶体絶命の瞬間に、ソ連がニコライ・ブルガーニン首相の名義でメッセージを送った。「近代的な大量破壊兵器を保有している、より強力な国から攻撃を受ける場合の英国とフランスの立場は何なのか」。
このメッセージで言及した大量破壊兵器とは核爆弾のことだった。この直前、ソ連は水素爆弾の実験に成功した。日本に落とされた原子爆弾の破壊力とは比較にならない。英仏は表向きではそうではないふりをしたが、米国までがスエズからの撤退を要求すると、脅迫に屈服せざるを得なかった。これが歴史的に核脅威が成功した最初の事例だ。
ロシアやイラン、北朝鮮までが、直接、間接的に核を持ち出している。今度はその恫喝が通用するだろうか。今回も米国の態度が結果を左右するのだろうか。