「生活はすべからく生命の営為であり、芸術は生き生きとする生命の追求であり、さらに創造について言うなら、芸術は生活を身ごもり、創造された生命を分娩させる原動力そのものだ。・・・地道に追求して作っていく過程で、日々それを学び、苦しみ、学び、その苦しみに疲れることなく、その苦しみに感謝することで芸術家の生活は満たされると信じる」(張旭鎮『川辺のアトリエ』)
小説を書く前には日記を書いた。一日を記録することより、誓いを書くことに近かった。ある日には本で見た芸術家の言葉を書き留めることがその誓いに代わった。私が二十歳のときに日記帳に書き留め、常に心に留めていた言葉は、画家張旭鎮(チャン・ウクジン)の言葉だった。彼が大切だと考えたのは「芸術家としての生活」だったので、私も芸術の傍らに生活という言葉を並べておくことができた。
もっと若い頃、私は芸術に憧れ、理解されないまま孤独に過ごし、ついに悲劇的な死を迎えた芸術家と私を同一視しようとした。しかし、張旭鎮の文と絵を見て考えが変わった。特に、彼の遺作を見ると、死に対する態度について考えさせられる。恐れの心なく、心穏やかに最期を迎える姿勢について。そうして今はそのような死を人生の目標とし、最善を尽くして生を完走するという思いで過ごしている。
朝起きて顔を洗い、歯を磨くことに特に理由づけをしないように、毎日ご飯を炊いて食べ、これに疑問を抱かないように、創作をすることも生活を営むための条件として私の生活に根付くことを願って。芸術は今、私にとって浪漫的であるとか壮大なものではなく、私が選んだ生活の術だ。私の体と心を健康にしてくれる生活様式だ。それは私と私を取り巻く世界をもっと愛するようにしてくれた。