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私を立ち止まらせるもの

Posted July. 30, 2022 09:15,   

Updated July. 30, 2022 09:15

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ザラスシュトラは私たちに多くのアフォリズムを残したが、「適時に死ぬ」ということもそのうちの一つだ。適時に死ぬということは、すべきことをすべてして人生を成し遂げることをいう。成功的な人生の最終的な条件ということだ。適時に死ぬためには先行条件がある。それはまさに適時を「生きる」ことだ。適時を知ることは難しく、それを守ることはさらに難しいが、どのようにそれを生きるのか、実に難しいことだ。

夜更けでもカトークが鳴って仕事をさせる。寝なければならない適時と仕事をする適時が分からない。忙しくて食事を抜き、食事の適時が曖昧になる。ストレスに中毒になれば、休息の適時が消え、不安が訪れる。コロナにかかっても仕事はしなければならず、今日の革新が終われば明日の能力強化が待つ。このような時、誰か私を少しの間、立ち止まらせてくれるといい。適時から遠ざかる前に、何かが私たちを立ち止らせなければならない。

詩人のパン・チルファンの作品にまさにそのような制止が4度登場する。せいぜい一束のニガナが私たちの疾走を止めてくれる。無関心な一羽のツバメが私たちの不安を捉えてささやく。少しの間、立ち止まれ。止まれば負けたようだけど、一度止まれば永遠に止まりそうだけど、詩人は、違うと言う。立ち止まることは、私たちを生きるようにし、一息つかせる。適時に立ち止まり適時に走る人生が遠ざかった時代に、適時を生きたい。